小野田大臣の出身大学の偏差値を問題にした町山智浩氏。しかし、人生とは学歴ではなく選択の連続で自己実現にたどり着くという声も。

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小野田大臣の出身大学の偏差値をコバカにした町山智浩氏。しかし、人生とは学歴ではなく選択の連続で自己実現にたどり着くという声も。

10月27日、日本学術会議を国から切り離す「特殊法人化」に関する新しい法律が成立してから、初めての総会が東京で開かれました。そこで、小野田紀美・内閣府特命担当大臣が冒頭の挨拶をしました。この出来事を受けて、映画評論家の町山智浩さんが、SNS(X、旧Twitter)にある投稿をしました。

偏差値35で学術会議担当?


小野田大臣の出身大学の偏差値(入学の難しさを示す目安の一つ)が低いことを理由に、「学者の国会」とも言われる学術会議を担当する大臣としてふさわしいのか、疑問を投げかけたのです。

この投稿で、SNSは大変な炎上(多くの批判が集まること)になりました。

つまり町山さんは、「偏差値35の大学出身の分際で、学術会議のことがわかるのか」と言いたいのでしょう。

しかし、これは明らかに間違った考え方です。

まず、「偏差値」を持ち出したこと自体に、「学問を扱う役職には、高偏差値の有名大学出身者が就くべきだ」という、町山さんの「学歴ブランド主義的な偏見」が表れています。

では、偏差値70以上の超難関、東京大学を卒業していれば、誰でもこの役職に適任かというと、決してそんなことはありません。

学校のブランドと、学生個々の能力は必ずしも一致しないからです。

「学界に精通している」という点で言えば、出身大学の偏差値がいくつであろうと、大学院に進んで研究者になれば、大学のブランドではなく、一人ひとりが書く「研究論文」の内容がすべてで評価されます

博士号は大学が授与しますが、その学位論文を審査するのは、他大学の教授たちです。

つまり、「東大で認められた論文は立派だけど、他の大学なら“それなりの”研究」というわけではないのです。

そもそも、出身校の偏差値は、行政を動かす能力や、政策を判断する力の指標にはなりません

日本学術会議を担当する大臣の役割は、「研究者の研究内容を審査・評価する学者」である必要はなく、組織をまとめ、予算や制度を管理する「政治的・行政的なマネジメント」が主な仕事です

わかりやすい例えで言うと、法務省で働く職員全員が、超難関の司法試験に合格した弁護士というわけではありません。

同じように、学術会議を所管する大臣が、必ずしも一流の学者である必要はないのです

要するに、「高偏差値=物事を理解する力が高い」という決めつけ自体が、誤った思い込み(ステレオタイプ)なのです。

今回、町山さんの発言が多くの人から批判されたのは、当然のことだと思います。

しかし……ここで一つ、疑問が湧きます。

これまで、小泉進次郎大臣(当時)の出身大学「関東学院大学」を、同じように偏差値が低いという理由でバカにしてきた人たちは、今回どうなのでしょうか?

小野田大臣を擁護する人たちの中に、小泉大臣の学歴を弄っていた人はいなかったでしょうか?

「関東学院大学はバカにしてもいいが、拓殖大学はバカにするな」という理屈は、まったく成り立ちません。

SNS上の熱い議論は、右派も左派も、自分の立場に都合のいいことしか言わない「ポジショントーク」になりがちです。このような状況では、なかなか日本が前に進んでいくのは難しいな、と感じずにはいられません。

変わらない日本の「学歴社会」

これだけ時代が変わっても、日本はまだまだ「学歴社会」のようです。
そんな折、興味深い投稿を見つけました。


これは、歴史学者の有馬哲夫先生の投稿です。

香港の実業家が、「東大を出ても年収1200万円なんて夢がない」と発信したことに対して、「そもそも東大を出ることと、年収が高くなることが直接結びつくという発想が理解できない」と批判しています。

有馬先生はこう続けます。

「東大を出た人にも、いろいろな人がいるでしょう。
人生は選択の連続』 であり、東大を出た人が常に正しい選択をするとは限りません。
後になって間違いだったと気づく選択の多くは、自分自身を客観的に見つめる力(自己認識)が足りなかったことが原因です
もちろん多くはありませんが、東大を出た『だけ』で、自分を過大評価してしまう人もいるのです。」

なぜ東大を出ても人生がうまくいかない人がいるのか?

なぜ同じような環境で育っても、明るい人生を歩む人と、そうでない人がいるのか?

この投稿は、「人生とは何か?」という深い問いに対する、一つの答えのように感じました。

思わず「なるほど!」と膝を打ちました。

人生は選択の連続

この言葉は、とてもシンプルながら、深い意味を持っています。

今日何を食べるか、という小さな決断から、進学、就職や転職、結婚、人間関係の築き方まで、私たちは日々、無数の選択を迫られながら生きています。

東大を出たからといって成功が約束されるわけではなく、苦労して育ったからといって失敗するわけでもありません。

人生は本当に人それぞれです。

その「明暗」を分けるものの一つが、人生における絶え間ない「選択」の積み重ねの結果だというのです。

一つ一つの選択が、未来を作る材料です。 そして、その積み重ねが「今の自分」を作り上げています。

これは、人生が「いい学校に入る」「資格を取る」というゴールで終わるわけではなく、それらはあくまで通過点に過ぎないということを教えてくれます。その後も、常に自分を客観的に見つめ(自己認識)、次々と訪れる選択に対して、自分なりの判断を下していく力が求められているのです。

もし自分を客観視する力を欠くと、たとえ東大を出て、恵まれたスタートを切れたとしても、それを活かせず、選択を誤るたびに人生が迷走していってしまうかもしれません。

もちろん、人生は「運」や「偶然」にも左右されます。
道理にかなった選択をしたつもりでも、不可抗力で思いがけない結果になることもあるでしょう。

それでも尚、その時々で「自分はどう生きたいのか」「そのためには今、何を選ぶべきか」を考え、自分自身をよく知りながら選択していくこと

それこそが、自分らしい人生を実現するための鍵なのではないでしょうか。

みなさんは、日々の生活の中で、この「人生の選択」を意識しながら過ごされていますか?

人生の選択 だからあなたはうまくいく! - 越智啓子
人生の選択 だからあなたはうまくいく! – 越智啓子

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