爆笑問題の太田光さんをめぐる『週刊新潮』の記事は「真実相当性がなかった」という判決。名誉毀損について考えてみました

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爆笑問題の太田光さんをめぐる『週刊新潮』の記事は「真実相当性がなかった」という判決。名誉毀損について考えてみました

爆笑問題の太田光さんをめぐる『週刊新潮』の記事についてネットでは盛り上がっています。一部には誤解があるようですが、太田光は裏口入学をしなかったという判決ではなく、記事に真実相当性がなかったという判決です。名誉毀損について考えてみました。

判決が述べていること

東京地方裁判所は、爆笑問題の太田光さんが大学に裏口入学したと書かれた『週刊新潮』の記事について、真実という証明があったとは認められないとして、新潮社に対し、ウェブサイトの記事の削除と440万円の賠償を命じたことが話題になっています。


Web掲示板は盛り上がっていますが、判決の見方について一部誤りも見られます。

判決は、太田光は裏口入学なんかしていないよ、というものではありません。

そうではなくて、裏口入学であると記事にすることにおいて、名誉毀損にならない条件をクリアしていない、という判決なのです。

名誉毀損というのは、刑法第230条第1項において、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」と定められています。

民法上は不法行為になります。

民法709条によれば、他人の権利ないし利益を違法に侵害する行為(不法行為)を行った者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負うことになっています、名誉の侵害はこの不法行為のひとつです(民法710条)。

「公然と事実を摘示」ですから、たとえば不倫をした人に、「バカ」とか「愚か者」と罵ることは名誉毀損にはなりません。(ただし侮辱罪になりえます)

一方、「〇〇は不倫をした」というのは「事実を摘示」になりますから名誉毀損です。

かりに本当は不倫をしていなくても、「不倫をした」という「事実の摘示」そのものが名誉毀損になります。

要するに、不倫をしたかしないかは関係ないのです。

不特定多数に知れ渡る可能性がある公の場で、具体的な事実を挙げて、他者の社会的評価を低下させる危険を生じさせることはすべて名誉毀損になり得るのです。

ということは、今回は「太田光は裏口入学をした」という「事実を摘示」ですから、それが本当か嘘かは本質ではないのです。

「裏口入学をした」という記事の主たる指摘そのものに、名誉毀損問題が生じるわけです。

ただ、そんなことを言っていたら、政治家の汚職も、芸能人の犯罪も何もかけなくなります。

とくに公人の報道に制限をかけることは、国民の知る権利を損ねるものとなります。

ジャーナリズムは、本来「暴く」という意味ですから、ジャーナリズムそのものを全面的に否定してしまうことにもなりかねません。

そこで、「事実を摘示」のすべてを名誉毀損とはせず、いくつかの条件をクリアしたものが名誉毀損にはならないことになっています。

それは、

  1. 公共の利害に関する事実にかかわるものであること
  2. 専ら公益を図る目的があること
  3. 真実であると証明されるか、真実であると信ずるについて相当の理由があること

という、公共・公益・真実相当性の3要件が整えば、免責されます。

ですから、たとえ真実であっても、虫の好かない隣のオヤジの私的な悪口は公益性に欠けるので名誉毀損になるでしょう。

今回、判決で言及したのが、この「3」です。

賠償額を挙げることが解決なのか

太田光の裏口入学が、真実であると信ずるについて相当の理由があるか、いや、ないでしょう、それだけの取材をしたという立証をしていないでしょう。という判決です。

「ない」ことの証明はできませんから、「太田光は裏口入学していない」ことが証明されたわけではありません。

これを受けて、掲示板は「マスゴミ」呼ばわりのコーフン書き込みが重なりました。

繰り返し書きますが、その中には、判決を正しく捉えていないものもありました。

つまり、太田光が裏口入学していないと裁判所が保証してくれたわけではなく、たんに週刊新潮の取材が名誉毀損の免責にはあたらない、というだけのことなのです。

東国原英夫氏は、昨日の『ゴゴスマ』では、名誉毀損の金額が安すぎる、という意見も述べていましたが、私はその意見に賛成しません。

なぜなら、賠償額の「相場」が上がることは、ジャーナリズムそのものを萎縮させるとともに、スラップ訴訟の横行につながる可能性があるからです。

スラップ訴訟というのは、ことの真実や勝敗を争うのではなく、もっぱら気に食わない相手にダメージを追わせるだけの目的で、高額の賠償金をふっかけて提訴することです。

東国原英夫氏によると、安い賠償額では、むしろ話題になって週刊誌が売れる利益のほうが大きくなってしまうと「懸念」していますが、そんなもの読まなければいいだけの話です。

かつて、文藝春秋社の『マルコポーロ』は、「ガス室がなかった」という記事を掲載したことが問題になりましたが、廃刊になった決め手は、広告が全部降りてしまったことです。

媒体をつぶすことは、こんなにかんたんなことなのか、と当時びっくりしました。

今回の様なことがあると、「マスミ」などとコーフンする大衆は、でもその一方で都合のいいマスコミの情報は鵜呑みにしますよね。

つまりマスミに依存しているわけですよね。

問題はそこにあるのです。

気に食わなければ、遠吠えしてないで媒体から自由になれよ、と私は思います。

秘匿すると真実相当性が立証できない

名誉毀損といえば、スキャンダル雑誌にはつきものです。

私は以前、『噂の眞相』(1979年3月~2004年4月)という、反権力、スキャンダルジャーナリズム誌の発行兼編集人である、岡留安則さんに話を伺ったことがあります。

以下は、『平成の芸能裁判大全』という本にも収録されています。

–ところで、最近名誉棄損訴訟が増えてきているように思いますが、それはなぜだと思われますか。

岡留 たしかに増えている。訴えればよほどのことがない限り勝てるからでしょ。報道のネタ元を明かしたら大変なことになっちゃうから、メディアの側はニュースソースを秘匿するというのがジャーナリズムの原則だったんだけど、いまはそんなこと言っていると絶対負けちゃうから。

–これは誰から聞いたのかと。

岡留 言えないんだったらあなたは負けですということだよね。裁判自体がとんでもないことになっている。言論の自由なんて裁判官の頭の中にはないから。一般の刑事事件と同じレベルで考えているから、憲法で保障された表現の自由、出版の自由なんて全然考えていない。メディアに対する裁判なんだから、言論の自由を侵さないようにしなければならないとか、長期的に見て社会のためにチェック機能が必要だとか、そういった発想があればもう少し慎重な判決が出てしかるべきと思うんだけどね。情報源の秘匿すらされていないわけだから、嫌な時代になった。

どういうことかというと、取材源は秘匿しなければならない。

しかし、秘匿すると真実相当性が立証できないから名誉毀損裁判には負けてしまう、という話です。

今回、週刊新潮がどういう取材をしたかはわかりませんが、名誉毀損裁判は本来マスコミ側に不利なものだということです。

名誉毀損判決でメディアが負けると、メディアを極悪人のよう断罪する大衆がいますが、その現実をもきちんと知っておいていただきたいですね。

取材記事の質がよくても、メディアが名誉毀損で負けることはあり得る、ということです。

ただし、今回がどうかは知りませんが。

私の結論

メディアが記事を書くというのは、重大な出来事であればあるほどそれだけリスクを伴う、ということです。

別の言い方をすると、ときには名誉毀損を恐れずに書ききる勇気や信念がないと、公益性の高い記事は書けないということです。

それで、ぶっちゃけ結論ですが、自分自身が裏口入学をネタにさえしている芸人の「裏口疑惑」など、そんなリスクに値する記事なのか、ということです。

私から見て、とてもそんな「勇気や信念」には見合わない、くだらない話だと思います。

ネタ枯れだったのかもしれませんが、政治の一大事とか、もっとすごいことでチャレンジャーになったらいいのに、というのが率直な感想です。

みなさんは、いかがお考えですか。

以上、爆笑問題の太田光さんをめぐる『週刊新潮』の記事は「真実相当性がなかった」という判決。名誉毀損について考えてみました、でした。

平成の芸能裁判大全 - 芸能裁判研究班
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