
宇多田ヒカル「Mine or Yours」と選択的夫婦別姓:政治的意図より個人的経験からの発信
宇多田ヒカルの新曲『Mine or Yours』が2025年5月2日に配信リリースされ、その歌詞の一節が大きな話題となっています。「令和何年になったらこの国で夫婦別姓OKされるんだろう」という歌詞に対して、選択的夫婦別姓の推進派、反対派の双方から様々な反応が寄せられています。
しかし、この歌詞の背景には深い政治的意図があるというよりも、宇多田ヒカル自身の人生経験、特に2度の離婚を経験した彼女の率直な思いが込められているのではないでしょうか。
歌詞の真意を探る
「Mine or Yours」は、日本語で「私のもの」か「あなたのもの」という意味を持つタイトルです。
曲全体を通して、パートナーシップにおける個人のアイデンティティ維持と関係性の両立についての繊細な感情が描かれています。
問題となっている一節は、愛する人と一緒にいたいという願望と、自分らしさを失いたくないという葛藤の中で自然に浮かび上がったものと考えられます。
「ずっと一緒にいたいけれど 毎日一緒はしんどいかも」という歌詞からも、親密さを保ちながらも自立性を維持したいという宇多田ヒカルの心情が伝わってきます。
この文脈で「夫婦別姓」への言及は、政治的な主張というよりも、彼女自身の経験から感じた「名前(氏)」が持つアイデンティティの重要性についての素直な表現ではないでしょうか。
宇多田ヒカルの離婚経験と姓の変更
宇多田ヒカルは2002年に映画監督の紀里谷和明と結婚し、2007年に離婚しています。
その後、2014年にイタリア人男性と再婚し、2015年に長男を出産しましたが、2018年には2度目の離婚を迎えました。
特に国際結婚であった2度目の結婚では、氏の問題に直面した可能性が高いでしょう。
日本で法律上の氏を変更し、離婚後にまた元の姓に戻るという経験は、彼女にとって単なる手続きの問題ではなく、アイデンティティに関わる重要な問題だったのではないでしょうか。
アーティストとして「宇多田ヒカル」という名前で活動を続ける彼女にとって、法的な姓の変更がもたらす困難は想像に難くありません。
プロフェッショナルな活動と個人生活の間での姓の使い分けは、多くの女性が経験する悩みの一つですが、著名人である彼女の場合はその複雑さがより大きかったことでしょう。
政治主張ではなく個人的体験の表現
宇多田ヒカルの新曲における「夫婦別姓」への言及が大きな反響を呼んでいるのは、「選択的夫婦別姓」が今まさに政治的な議論の対象となっているからです。
先日、立憲民主党から法案提出があり、自民党内でも議論が続いています。
しかし、アーティストとしての宇多田ヒカルは、政治的主張を歌にするというよりも、自分自身の経験や感情を素直に表現することで知られています。
彼女の作品は常に個人的な経験に根ざしており、『Mine or Yours』もその例外ではないでしょう。
この歌詞は、彼女自身の離婚経験を経て感じた「氏」についての率直な思いではないでしょうか。
2度の離婚を経験した彼女にとって、結婚のたびに姓を変え、離婚後に元に戻すという過程は、単なる手続き上の問題ではなく、アイデンティティに関わる重要なテーマだったはずです。
アーティストの表現を政治化する危険性
現代社会では、有名人の発言や表現が政治的文脈で解釈されることが多くあります。
特に現在の日本では、「選択的夫婦別姓」の導入を巡って様々な立場からの議論が活発化しています。
そのような状況下で宇多田ヒカルの歌詞が注目を集めるのは自然なことです。
しかし、彼女の歌詞を政治的主張として単純化することは、アーティストの表現の豊かさや複雑さを見逃すことになります。
アートの価値は、時に社会的な問題に光を当てることにありますが、それは必ずしも明確な政治的立場を表明することを意味するわけではありません。
個人的経験と社会的議論の交差点
興味深いのは、宇多田ヒカルの個人的経験が、より広い社会的議論と自然に交差している点です。
彼女の経験した「姓の変更による不便」は、選択的夫婦別姓を求める多くの人々の主張と重なります。
しかし、それは彼女が政治運動に参加しているからではなく、単に彼女自身の経験から生まれた思いが、社会的な課題と一致しているからではないでしょうか。
この観点から見ると、彼女の歌詞は政治的な主張というよりも、個人的な経験が社会的な課題と共鳴する一例と捉えるべきでしょう。
まとめ
宇多田ヒカルの新曲『Mine or Yours』における夫婦別姓への言及は、彼女の2度の離婚経験から生まれた素直な心情表現と考えるのが自然です。
アーティストの表現を政治的な意図として単純化するのではなく、彼女の個人的経験を通して社会的な課題を考える機会として捉えるべきでしょう。
最終的に、芸術表現の豊かさは、明確な政治的立場表明ではなく、個人的経験をありのままに表現することから生まれます。
宇多田ヒカルの歌詞は、選択的夫婦別姓という社会的議論に一石を投じましたが、それ以上でもそれ以下でもなく、自身の経験に基づく率直な表現だったのではないでしょうか。
このように考えることで、彼女の表現をより深く理解し、社会的課題についても新たな視点から考えるきっかけになるのではないでしょうか。
みなさんなら、アーチストとして、作品をいちいち政争の具にされることを望みますか。

選択的夫婦別姓の問題点 ―どちらでもいいと思っているあなたへ―だから私は反対です – 三津間弘彦


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