石川知裕元衆議院議員の訃報が伝えられました。51歳という、あまりにも早すぎる享年の報に、ただ驚きと悲しみを覚えます。

この記事は約5分で読めます。

石川知裕元衆議院議員の訃報が伝えられました。51歳という、あまりにも早すぎる享年の報に、ただ驚きと悲しみを覚えます。

石川知裕元衆議院議員の訃報が伝えられました。51歳という、あまりにも早すぎる享年の報に、ただ驚きと悲しみを覚えます。石川知裕さんは、民主党政権時代に衆議院議員として、また小沢一郎元代表の側近として華々しく活躍された方です。

その若さとエネルギーで「政界のプリンス」とも称され、将来を大いに嘱望されていました。

しかし、その政治人生は「陸山会事件」によって大きく変わってしまいます。

本稿では、石川さんの訃報に触れつつ、その名が広く知られるきっかけとなった陸山会事件について、改めて振り返りたいと思います。

陸山会事件とは何だったのか


陸山会事件とは、2000年代後半から2010年代初頭にかけて大きく報じられた、政治資金規正法違反事件です。

民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」が、土地の購入資金の出所や報告の記載をめぐり、法律に違反した疑いが持たれました。

具体的には、数億円規模の土地購入資金のうち、小沢元代表自身の資金4億円が、報告書上は「政治資金からの支出」とされていた点などが問題視されました。

検察は、秘書たちが虚偽の記載をしたとして立件したのです。

石川知裕さんは当時、小沢元代表の公設第一秘書を務めており、この事件の実行役の一人として起訴されました。

その後、衆議院議員に当選しましたが、長い裁判の末、有罪判決が確定。

議員バッジもはずし、政治の表舞台から去らざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。

このような大きな事件の渦中にいた石川さんが、51歳で亡くなられたことは、非常に重いものを感じさせます。

事件後は政治家として復帰することは叶わず、その後はどのような思いで日々を過ごされていたのでしょうか。

政治への想いや無念さは、計り知れないものがあったと想像せざるを得ません。

陸山会事件は、政治とカネの問題の難しさを如実に示した事例です。

制度自体が複雑で、一般の有権者にはわかりづらい面があります。

それだけに、「過失」で済ませるか、「有罪判決」に持ち込むかは、司直の気持ちひとつで変わる曖昧なものです。

石川さんは、そうした曖昧でグレーな領域で、政治の最前線を奔走していた一人でした。

有罪判決を受けたことは事実ですが、そもそも陸山会事件は、小沢一郎を失脚させるという国策捜査の疑いが今も払拭しきれていません


いずれにしても、秘書に過ぎなかった彼個人の全てを、その一点で断罪することはできないでしょう。

熱意ある若き政治家としての顔、支持者を想う心、家族を愛する一個人の顔も、もちろんあったはずです。

小沢一郎さんは冤罪を晴らしたが、石川知裕さんは…


私は当時、陸山会事件は、すぐに「国策捜査だな」と感じ、小沢一郎さんの懐刀と言われた平野貞夫さんに、小沢一郎さんの冤罪を明らかにする書籍を出すことを勧めました。

当時、小沢一郎さんは、マスコミや有権者に叩かれていただけでなく、民主党内でも、菅直人、枝野幸男、仙谷由人ら、いわゆる新左翼系の議員からもいじめられる「内紛」状態だったのです。

※政権交代の恩人に対して、ふざけんなよ、菅直人

そこで、なんとか誉回復をしなければいけないなと思い、1/3は過去の平野さんの書き物の転載、1/3は私の執筆、1/3を平野さん執筆で仕上げ、さらにページ稼ぎに、私が聞き手になって、平野さんから伺った話を載録して大急ぎで仕上げたのが、『日本一新』という書籍です。

ここだけの話ですが、平野貞夫さんは元日本共産党員で、小沢一郎さんも不破哲三さんと同期でつながりが深く、革マル系の枝野幸男とか、元社会党の仙谷由人らとは、最初からウマが合わなかったようです。

左翼も色々関係が複雑なんです。


このときのことがあるので、私は、いまだに民主党系列(立憲民主党とか国民民主党とか)を信用することができないんです。

だって、同志を守らないなんて、人の道を外れてるよね。枝野とか弁護士のくせに

安倍晋三さんとはニュアンスは違いますが、つくづく「悪夢の民主党政権」だったと思っています。

それはともかくとして、小沢一郎さんは案の定、起訴できず、その点で、多少はお力になれたかもしれませんが、石川知裕さんが有罪判決になってしまったのは大変残念なことでした。

最近では、兵庫県の竹内元県議夫人が立花孝志さんを告訴するための、サポートをされていました。


石川知裕さんの生前のご遺徳をお偲び申しあげます。

コメント