Fラン大学と呼ばれる偏差値の低い大学に対する存廃論争が活発化。一部のインフルエンサーたちがSNSや講演などでFラン大学不要論を展開

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Fラン大学と呼ばれる偏差値の低い大学に対する存廃論争が活発化。一部のインフルエンサーたちがSNSや講演などでFラン大学不要論を展開

近年、「Fラン大学」と呼ばれる偏差値の低い大学に対する存廃論争が活発化しています。一部のインフルエンサーたちがSNSや講演などでFラン大学不要論を展開し、世間の注目を集めています。この議論の背景には何があるのか、そして本当にFラン大学は不要なのでしょうか。

最近、「Fラン大学なんか入っても仕方ない」というネット上の意見に、私が、「いや、そんなことはないよ」と反論すると、意外と支持される経験が続いたので、逆に戸惑っています。

Xでは、「「資格大卒」という時に、どんな名門高でも高卒ではダメ。Fランでも出ておいてよかったということはある。」と書いたら、2時間ぐらいで「いいね」が3桁になってしまいました。


フェイスブックでは、私の地元の低偏差値高校が、校名を変えて再スタートしたのを「名前変えたってバカ学校」と揶揄した投稿があったので、「学校の価値はよぉ、偏差値だけじゃ決まらんけぇ~。こんなも、地元民なら応援せんかい!のぅ」とクンロク気味の説教をしたら(笑)、これもやはりたくさん「いいね」がついていました。

職業と大学は密接につながっているので、官僚や一部上場企業に入るための大学や学部は高偏差値になり、逆に福祉や介護関係の大学や学部などは低くなりがちなのですが、では、「Fラン大学は要らない」といって、介護や福祉の大学がなくなったらどうしますかって話です。

介護や福祉関係でも、大卒が条件の資格ってありますからね。

社会福祉士(国家資格)とか、精神保健福祉士(国家資格)とか、杉浦太陽がとったという認定心理士(公益社団法人日本心理学会認定)とかね。

それでいてさ、アルファベットもわかってなさそうな金持ちのドラ息子とかが入る、国家試験も合格率が低い一部歯学部などは、つぶせという話にならない。聖域。

歯学部なんて、バブル時代に量産して、明らかに余剰でしょう。この辺にも利権のにおいが……

ま、それはともかくとして、ホリエモンをはじめとする一部の著名人が、近年「Fラン大学は不要だ」という主張を積極的に展開しています。

彼らの発言の裏には、単なる個人的見解を超えた政治経済的な意図があるという指摘もあります。

例えば、ロケット事業などの新規事業に予算を配分してもらうため、緊縮財政を進める財務省の意向に沿った発言をしているという見方です。

財務省としては、少子高齢化による税収減と社会保障費増大という厳しい財政状況の中で、教育予算の効率的な配分を主張するのは自然な流れかもしれません。

しかし、その主張が「Fラン大学をつぶせ」という形で表出する時、私たちは慎重に考える必要があります。

市場原理による自然淘汰はすでに進行中

実は、Fラン大学の淘汰は政府主導でなくとも、すでに市場原理によって進行しています。

少子化により18歳人口が減少し続ける日本では、今年度だけでも全国の短期大学の約1/4が閉校を決め、全国で15の私立大学が募集停止または閉校しており、この傾向は今後も続くと予測されています。

市場原理による自然淘汰が機能している中で、その上さらに大学を「つぶす」という強硬な手段は本当に必要なのでしょうか。

Fラン大学と呼ばれる教育機関には、一般的に認識されている以上に重要な社会的役割があります

1. 教育機会の平等性の担保
全ての若者が難関大学に入れるわけではありません。Fラン大学は高等教育を受ける貴重な機会となっています。これらの大学がなくなれば、教育格差はさらに広がる可能性があります。

2. 地域社会の活性化
地方に位置するFラン大学は、地域経済の重要な部分を担っています。学生や教職員による消費活動、大学と地域企業との連携プロジェクト、文化的イベントの開催など、地域社会に多様な形で貢献しています。こうした大学の閉校は、地方の過疎化をさらに加速させる恐れがあります。

3. 専門職・技術者の育成
医療、福祉、教育などの分野では、トップ大学の卒業生だけでは社会のニーズを満たせません。Fラン大学の多くは、こうした実務的な職業人材の育成に力を入れており、日本の産業や社会サービスを支える人材を輩出しています。

学歴社会の現実と「学歴不問」への道のり

Fラン大学不要論の主張者は、しばしば「これからの時代は学歴ではなくスキルが重要だ」と説きます。

しかし、現実の採用市場はどうでしょうか。多くの企業では依然として「大卒以上」という条件が設けられており、専門職の資格取得にも大学卒業が前提となっているケースが少なくありません。

企業の採用基準や資格要件が「学歴不問」に方針転換しない限り、Fラン大学を一方的に削減してしまったら、多くの若者から進学や就職の機会を奪うことになりかねません。

ですから本当に必要なのは、まず、学歴に依存しない公正な評価システムの構築ではないでしょうか。

まとめ

私の意見としては、Fラン大学の存廃を「Fラン」の部分のみにフォーカスして議論するのではなく、以下のような観点から教育システム全体を見直す議論が必要だと思います。

・大学の役割を「就職のための通過点」から「真の学びの場」へと再定義する
・高等教育の多様な形(専門学校、オンライン教育、職業訓練など)を認め、支援する
・企業の採用や資格認定において、学歴ではなく能力や適性を重視する制度設計を進める
・大学側も時代のニーズに合わせた改革を積極的に行い、社会的価値を高める努力をする

Fラン大学不要論は、一見すると合理的に聞こえるかもしれません。しかし、教育は単なる経済効率だけで語れるものではありません。多様な若者たちに教育機会を提供し、それぞれの可能性を最大限に引き出すことこそ、教育の本質的な役割ではないでしょうか。

みなさんは、Fラン大学の存在意義についてどのようにお考えでしょうか?ぜひ、コメント欄でご意見をお聞かせください。

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