「老害の人」にならないコツ(平松類著、アスコム)は、「老害」と称する「心の癖」を解決するための方法を提案している書籍です。しかし、そもそも「老害」ってなんでしょうか。若ければ無問題なのでしょうか。この記事ではそのへんも考えていきます。
このブログを読まれている方は、全体として40代以降の方が多いのではないかな、と思うのですが、「老害」と呼ぶ方から、呼ばれる方の年齢層に入りつつある、もしくは入っているのかもしれません。
そこで今回は、「老害」をテーマにした本です。
Amazon販売ページから、本書の概要を引用します。
以下が、「老害」の特徴だそうです。
◎ついつい「いや」と答えることがある
→ とにかく否定から入ってしまいがち
◎気がつくと自分の話をしている。人の話を聞くのが苦手
→ 自分自身のことや自慢話が好き
◎いつの間にか大声になっていることがある。なんでもないことにイラつく
→ 性格的にカッとしやすい
◎人からほめられるとうれしくなる
→ 自己肯定感が低く心をこじらせぎみ
どれかに心当たりがあれば、いまは老害でなかったとしても、いずれ「老害の人」になる可能性が大きいです。
老害だと思っていないあなたが、すでに老害かもしれません!
でも、ちょっとした「コツ」で「幸せな老人」になることはできます。
ぜひ、本書を読んでください。
とのことです。
そして、「老害」というのは、その人元来の性格がもたらす「心の癖」だそうです。
「心の癖」とは、怒りやすい人とか神経質な人とか、そういう生まれつき備わっている行動特性のことだといいます。
そう書いてはあるのですが、うーん、私は本書のこの説明について、素直に心に落ちなかったです。
書かれていることは、確かに好ましくないことかもしれませんが、「元来の性格」や「心の癖」というのは、何も高齢者でなくてもあり得ることですよね。
すぐ怒るとか、「いや」と否定して話に水を差すとか、自己愛の強いやつとか、心をこじらせたやつとか、そういうイタイ奴は、20代でも30代でもいますよね。
にもかかわらず、「若害」とはいわないですよね。
高齢者のそれだけを「老害」というのはどうなんでしょう。
それは、高齢者を邪魔者とするための、口実的なレッテルになっていないでしょうか。
「年寄は老害だから嫌われても仕方ないんだよな」とかね。
本書に書かれていることは、年齢を問わず人として気をつけましょう、ということで、むしろ安易に「老害」という言葉を独り歩きさせることに対して、私は強い懸念を示しています。
他者の「害」と向き合うから自分が変われる
「老害の人」にならないコツ/平松類著
人のフリ見て我がフリ直せ。老害は誰にでも(ご多分に漏れず自分にも)襲ってくることを念頭に老害の人にならぬよう本書を活用し内容を実践すれば良いのではないかと思う。なお、加齢からくる身体の老朽化も老害の要因の一つになるようだ。#老害 pic.twitter.com/HuQ7h8wpw0— くまたろうの読書記録 (@ii_qw8) July 20, 2024
なぜ、今回この話題にしたかというと、ある方のブログで、「老害」を取り沙汰しておられたんです。
その記事自体は、「自分がそうならないようにしよう」という決意表明であり、それについては何ひとつ留保をつけることはありませんでした。
ところが、そのコメントのひとつに、(老害の人は)「いなくなってほしい」という旨のことが書かれていたので、それが大変気になりました。
まさに、自分に都合の悪い年寄は消えてくれ、または消えるべきだという発想です。
私はさっき「イタい人」と書いたけど、「(老害の人が)いなくなってほしい」とは思わないし、少なくとも公然と言葉にはしません。
人格疑われるし。
だったら、そういう「老害」の人に全部「いなくなって」もらったとして、その人はいったいどういう人に囲まれて暮らしたいのか。
自分にとって、都合の良い人ばかりに囲まれて暮らしたいというなら、そりゃちょっと気持ち悪いよ。
「老害」と呼ぶべき欠点かどうかはともかく、人間なんて、みんな何かしら欠点があったり、相性が悪かったりするもんです。
自分の周りの人間て、気の合うところ、便利なところのあれば、ここが嫌だな、これだけは勘弁してほしいな、という欠点もある。
お互いがそう思ってるんですよ。
でもね、他人は変えられない。
さすれば、自分が変わるしかない。
そこに、人間的な「学習」とか「成長」などがあるのではないでしょうか。
つまり、カタキとか、ライバルとか、足を引っ張りたがる野郎とか、そういう一見自分の前に立ちふさがって、生きづらくさせている人たちこそが、実はあなたを成長させているんですよ。
それをさ、「老害は4んでくれ」「アタシを大事にしてくれる人だけがいてくれればいい」なんて考えて、もし本当にそうなったら、その人は何も成長しないでしょう。
老害であってもなくても、しょせん人なんて欠点だらけ
「老害」の人がいてはいけませんか。
いたっていいんじゃないでしょうか。
「老害」と向き合うことで、あなたはきっと人として成長するでしょう。
先程書いたように、自分がそうならないようにしよう、と志すことは全く間違っていません。むしろすばらしいことです。
ただし、しょせん人間なんて、どっちみち欠点だらけで目に余る存在なのですから、「老害」だろうが、そうではない欠点だろうが、お互いそういうものだと理解し合って、助け合って生きていったらいい、という気持ちだけは持ち続けていただきたいと思います。努々「いなくなってくれ」なんて思わないでください。
……というのが私の意見です。
ご自身の「老害」が気になり、それを直したいと思われる方は、ぜひ本書をご覧ください。
「老害」。気になりますか。
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