世界に衝撃を与えた『サピエンス全史』は何を伝え、いかなる未来をさし示しているのか。入門書にしてもう読んだ読者への解説書

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

世界に衝撃を与えた『サピエンス全史』は何を伝え、いかなる未来をさし示しているのか。入門書にしてもう読んだ読者への解説書

世界に衝撃を与えた『サピエンス全史』は何を伝え、いかなる未来をさし示しているのか。入門書にしてもう読んだ読者への解説書。著者のユヴァル・ノア・ハラリさんと池上彰さんの対談を筆頭に、各分野の研究者たちが同書の魅力と可能性を述べています。

『サピエンス全史』は、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによる世界的ベストセラー書籍です。

もう読まれましたか。

同書では、ホモ・サピエンスという種がどのように進化し、社会や文化を形成してきたのかを探求する学際的歴史書です。

主に以下の4つの革命を中心に、人類史を振り返っています。

1. 認知革命……約7万年前に始まり、人類が抽象的思考や複雑なコミュニケーション能力を持つようになったこと。
2. 農業革命……約1万年前、狩猟採集生活から農業社会への転換がもたらした影響。
3. 科学革命……約500年前から始まり、人間の知識や技術の急速な進歩がもたらした変化。
4. 産業革命……近代における技術進歩が、経済や社会に与えた劇的な影響。

要するに、その4つの段階で「人類社会」は「発展」してきました。


しかし、カッコ付きでかいたように、それはあくまで、人間にとっての「発展」でありました。

たとえば、現在、環境問題だの、種の保存だのといわれていますが、野生の動物の大半は、人類によって絶滅され、地球上の「動物」の大半は現在、牛、豚、鶏、羊など、「人間のためになるもの」ばかりです。

ユヴァル・ノア・ハラリ博士は、人類の発展がどのように地球環境や他の生物に影響を与えたのか、そして未来の課題としてどのような倫理的問題があるのかを論じています。

哲学的かつ歴史的な視点で書かれており、単なる歴史書というよりも、現代社会を見つめ直すための洞察に満ちた本です。

ただし、ものすごく長いので、いきなり読むのは敷居が高いかもしれません。

そこで、「予告編」のように、その見どころを、端的に著者や識者に語らせたのが本書です。

私も、以前から本書はブログ記事にしたいと思っていましたが、何しろ大変な文字量の書籍ですから、2000字ぐらいのブログ記事ではとてもまとめることができず、どうしようかと思っていました。

さしあたって、著者のインタビューが掲載されている本書をご紹介することで、概要のご紹介になるかなと思い、今回は本書冒頭の、著者×池上彰対談から、本書の特徴となるところをご紹介します。

スポンサーリンク

人類は「虚構」を信じてきたからこそ「発展」できた


著者は、まず池上彰さんのインタビューを受ける形で、本書の内容を語っています。

人間は、ホモサピエンスの時代から数多の動物を抑えて、どうやって地球上の覇者になったのか。

人間と動物の違いはなにか。

宗教、国家、貨幣という「共同主観」を持てたからだといいます。

猿に、1000円札を出して、そのババナをくれと言ってもくれません。

1000円札の価値は、人間だけに通用するものだからです。

宗教にしろ、国家にしろ、貨幣にしろ、人間が作った価値で、実態は「虚構」です。

つまり、客観的に実在するものではありません。

しかし、それらの価値を人は共有できます。

そこで、それをもとに政治や経済や文化が成立します。

それらが成立することで、社会が成立します。

だから、人はお金によって物の売買をしたり、法律や公共の施設を作ったり、人々が安心して暮らせる文化が構築されたりしたのです。

イデオロギーも宗教の一つである


私が、ぽんと膝を打ったのは、イデオロギーという政治思想も宗教の一つだということです。

とくに、科学の発達した現代では、昔のように、ストレートに神様を信じることはピンとこないことかもしれません。

カルト教団も悪いことをするので、宗教というと、「そんなものなくても生きていけるよ。オレは何も信じてないよ」と、内心コバカにしていませんか。

しかし、わたしたちの暮らしを司る政治の基本方針を定めるイデオロギーとは、神様のいない宗教というのがハラリ博士の指摘です。

「超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系」というのが、ハラリさんが提唱する宗教の定義だからです。

この定義に沿えは、宗教は必ずしも神を信じるものである必要はなく、法則を信じるものも含まれる。

資本主義も共産主義も、独自の法則性を信じ、それが生きていくうえでの規範、道筋になっています。

たとえば、仏教学者の佐々木閑さんは、ハラリさんの説を、『宗教の本性』(NHK出版)という本でこう読み解いています。

「よい暮らしをしたい、もっとお金を稼ぎたいと思うのは、「社会の発展が人間の幸福につながる。個人の富を増やしてモノを消費することが善である」という資本主義の原則を信じているからです。

一方、共産主義国の人たちは、「働いて得た富はみんなで均等に再分配し、国民全員で幸せになろう」と考えて日 々 働いています。これも、もちろん当たり前のことではなく、「すべての人が平等に幸福になることが社会のあるべき究極の姿である」という共産主義の原則を信じているから、そう考えているだけのことです」(『宗教の本性』NHK出版より)

「私たちは生まれながらに資本主義や共産主義といったイデオロギ ー にどっふリ浸かって生きているため、一定の法則(超人間的な秩序)が自分の思考や行動を支配していることに気づきません。しかし、じつは誰もがイデオロギ ー を信じて生きています。」

ですから、政治思想の「右」も「左」も、「そうなれば幸せになれるんだ」という「信仰」に過ぎません。

もちろん、「信仰」が悪いということではありません。

ただし、「信仰」である以上、信じない人にとっては正しいことではないから、絶対的真理ではない、ということです。

たとえば、A国とB国の政治的対立、国内ではA党とB党が政策的対立をしていたとして、我が国では、「右」と「左」に分かれて、どちらが正しいかというポジショントークに走りがちですが、いや、どっちも違うという第三、第四の意見が出てもおかしくないのです。

もっとも、それも「右」「左」には与しない別の宗教ということになりますが……。

とにかく、人間は、特定の宗教を信じている自覚はなかったとしても、何か「虚構」を信じているからこそ、現在までの「発展」を遂げてきた、というのが本書の根幹となる考え方です。

みなさんにとって、生きる指針となる「虚構」とは何ですか。

『サピエンス全史』をどう読むか - 河出書房新社編集部
『サピエンス全史』をどう読むか – 河出書房新社編集部

コメント