百円の男ダイソー矢野博丈(大下英治著、さくら者)は、100円ショップの草分けである大創産業(100円SHOPダイソー)創業者の評伝

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百円の男ダイソー矢野博丈(大下英治著、さくら者)は、100円ショップの草分けである大創産業(100円SHOPダイソー)創業者の評伝です。2月に亡くなったばかりですが、文中敬称略で、その成功譚と生き様について振り返ってみたいと思います。

百円の男ダイソー矢野博丈(大下英治著、さくら者)は、100円ショップの草分けである大創産業(100円SHOPダイソー)創業者の評伝です。2月に亡くなったばかりですが、文中敬称略で、その成功譚と生き様について振り返ってみたいと思います。

2024年も、多くの著名人の訃報がありました。

その中のひとりが、矢野博丈(やの ひろたけ、1943年4月19日-2024年2月12日)こと、栗原五郎です。

例によって、「偉人は改名が多い」という私の持論に当てはまる一人です。

「矢野」は学生結婚した夫人の旧姓、「博丈」は姓名判断だそうです。

1977年12月、「利益一円でも売る商法」によって、「これが100円か!」で日本人に衝撃を与えた100均のダイソーを設立しました。

Amazonから抜粋です。

いくつかの事業を失敗して、スーパーなどの店先で棚板に商品を並べて「100円均一」で売ったところ大当たり。一日で100万円を売り、スーパー店長が仰天。その成功の秘密は利益一円でも売ることにあった。先行するライバルは100円の粗悪品、ダイソーは「100円の高級品」。利益一円でも売る商法である。この差が消費者の心をつかんだ。

というわけで、「転職9回、夜逃げ同然1回、火事1回」という波乱の人生を送ったダイソー創業者の生き様と功績を振り返ります。

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逆境があると必ず跳ね返す


矢野博丈は、中国北京市生まれ。

父親は医師で、母親は広島銀行の前身の一つ「山岡銀行」の娘です。

それだけ聞くと、裕福そうに聞こえますが、戦後、広島市内中心部の新川場通り(並木通り)に引き上げてからは貧困だったそうです。

ただ、戦後の混乱期広島における貧しい家庭環境で育ったことで、自らの手で人生を切り開くという強い意志を持つようになったそうです。

たぶん、貧乏だけど、文化水準の高い家庭だったのではないかなと思います。

東広島市立久芳小学校を卒業後、広島市の新川場通りに転居し、広島市立国泰寺中学校を経て、旧制広島一中の伝統を継ぐ広島県立広島国泰寺高等学校に進学します。

学校時代は、いじめられっ子だったらしく、陰湿な嫌がらせを日常的に受けたため、町のボクシング道場へ通い、不良たちに取り囲まれてもパンチ一つで次々と打ちのめす腕力を身につけたそうです。

その成果で、1964年には東京オリンピックバンタム級の強化選手にも選ばれたそうです。

この根性はいいですね。

ただし、ボクシングに熱中しすぎたのか、大学受験は失敗。

一浪後、中央大学理工学部二部土木工学科に進学し、上京します。

この選択もわかりますね。有名大学の中で、学費の安いところを選んだのでしょう。

二部(夜間課程)というのは、大学によって位置づけが様々で、たんなる「夜の時間割」の課程として、昼間の課程と同じぐらいの学費をしっかりとるところ(早稲田とか青山学院)もあれば、苦学生の課程として、学費がやすいところ(明治や中央)や、5年制(たしか都立大)もありました。理科大みたいに、昼も夜も安いところもありましたけどね。今はわからないですよ。1980年代ぐらいまでの話です。

最初は、ボクシングで身を立てる気持ちもあったようですが、1964年の東京オリンピック・バンタム級金メダリストになる強い先輩・桜井孝雄が大学にいて、レベル・才能の差を感じて挫折したそうです

ボクシングからは足を洗い、大学二部にワンダーフォーゲル部を創部。

商売の初体験は、サイゼリヤの正垣泰彦同様、新宿区淀橋市場でのアルバイトでした。

ここで現在の練馬区高野台にあった、練馬青果地方卸売市場にバナナを運ぶ仕事をしたそうです。

遠い親戚と学生結婚。大学は挫折せず24歳で卒業します。

その後、サラリーマンとして一定のキャリアを築きましたが、企業内でのルールや上下関係に息苦しさを感じ、独立を決意。

その後、前述のように「転職9回、夜逃げ同然1回、火事1回」を経験しながも、その都度立ち直ってダイソー創業にこぎつけます。

最初は、個人事業として「矢野商店」をスタート。

移動販売を中心に、日用品や雑貨を売る商売を行っていましたが、「値段交渉の手間を省きたい」という思いから、すべての商品を100円で販売するアイデアを着想。

それが「100円均一」の始まりでした。

お金で苦労したので、「客は1円でも安いことがありがたいはずだ」と考えたのではないかと思います。

成功の要因は、安価で高品質な商品を提供するため、メーカーからの直接仕入れを推進した独自の調達網。

大量仕入れ・大量販売で、規模の経済を活用し、原価を抑制。

フランチャイズ展開ではなく直営店を中心にして、全国規模で迅速に店舗を拡大をしたこと。

などがあると、本書ではまとめています。

一口に言えば、逆境を跳ね返す人生だったといえるでしょう。

ちなみに、本書を書いた大下英治も広島の人です。

「現代のよろづや」に変容しつつある


ダイソー製品の原産国は中国46%、台湾10%、韓国12%そして日本は15%。 東南アジアから安く仕入れていますが、先方のニーズに対応しているので、「搾取」という概念では割り切れない現実があるといいます。

コロナ禍では、日本政府の初動管理の甘さを棚に上げ、「C国が悪い、断交しろ」などとヒステリックに騒いでいた向きもありましたが、一方でその間も、メイド・イン・チャイナの100均商品を喜々として買い求めていましたよね。←断交したきゃ不買運動でもすればいいのに。

価格、そして、結局メイド・イン・チャイナに実は慣れてしまっている面もあるのでは?

そんな消費者マインドを当初から見透かしていた矢野博丈は、確かにビジネスマンとして勝ち組だと思います。

現在は国内外に4700店舗。これが全部直販店ですからね。

300円、500円、1000円など、商品の価格も幅ができ、たんなる100均から「現代のよろづや」に変容しつつあります。

そして、大きな家具店やスーパーなど、一見競合しそうな店舗の一角を借りて営業しているところもミソです。

競合しそうでいて、実はかなり棲み分けているから、相乗効果があるんですね。

私も、ちょくちょく寄らせていただいています。

ダイソーは、利用されていますか。

百円の男 ダイソー矢野博丈 - 大下英治
百円の男 ダイソー矢野博丈 – 大下英治

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