
かつて、日本中を震撼させた旧オウム真理教の事件。この凄惨な記憶を辿る時、私たちは一つの強烈な違和感に突き当たります。「なぜ、将来を嘱望された高学歴のエリートたちが、あのような荒唐無稽な教義を信じ、凄惨なテロに手を染めたのか」という疑問です。
何者かになりたかったのに何者にもなれなかった
今日の参考動画は、『ゆっくり凶悪事件簿』です。
旧オウム真理教の事件はあまりにも有名で、ひとつひとつ振り返るとキリがないので、今回はもっとも大事なことに一点だけフォーカスします。
それは、同教団の教祖以外の幹部は、1人をのぞくと、短大以上の高等教育を受けていて、しかも実行犯の数名は、理系(医・理・工)の最高学歴者です。にもかかわらず、
なぜ疑似科学のカルト団体になんかに騙されたのか
という点です。
科学知識は、トップクラスだったはずだろう、いったい何を学修していたんだ、と思いませんか。
たとえば、上祐史浩氏。
超難関の早稲田大学高等学院から、これまた内部進学がもっともむずかしい理工学部に進み、早稲田大学大学院修了。JAXAの前身である宇宙開発事業団への就職。輝かしい「スペック」を誇りながら、なぜ麻原彰晃という男に平伏したのか。
その答えは、高学歴者が抱きがちな「毒性の強い承認欲求」にあります。
一言で述べると、
「何者かになりたかったのに、何者にもなれなかった」不満です。
世の中、上には上があります。
上祐史浩氏に限らず、彼らは、小中高と優秀な成績で自尊心を満たせた。
その後、有名な大学⇒大学院、そして大きな会社に入ったものの、周囲も優秀で、決して自分は特別な存在ではなくなった。
しかし、旧オウム真理教では、彼らは「省庁」のトップとして責任ある仕事を任された。
一流企業の「陣笠社員」よりも、信者が増え続ける団体の「部門トップ」に生きがいを感じたということです。
人間、誰しもある野望かもしれませんが、エリート街道を進んだ彼らはとくに、「その他大勢」が耐えられなかったのでしょう。
「かけがえのない自分」は、高い能力を全面開花できる場で働き、高い評価を受けるべきである。
そういう意識を、教祖にくすぐられたのかもしれません。
動画でも、「高学歴な幹部たちが、現実社会への不満やエリート意識をこじらせ、そこを麻原彰晃につけ込まれていった」と表現しています。
「試験アタマ」だけで生きてきた者の世間知の乏しさ
エリートたちの理性を沈黙させたもう一つの要因は、用意周到に準備された「偽りの権威」でした。
ダライ・ラマ14世をはじめとする、チベット仏教の権威たちが麻原を絶賛しているという事実は、権威を重んじる秀才たちにとって、入信を正当化する最大の「免罪符」となりました。
しかし、その実態は、1億円以上の多額の寄付によって「購入」された、実質的な買収工作に過ぎませんでした。
ここで注目すべきは、上祐氏らエリートたちの「世間知(リテラシー)の欠如」です。
大学院を出ていても、彼らは宗教界における「ドネーションと権威の貸し借り」という世俗的な力学を見抜くことができませんでした。
専門分野の知識はあっても、社会の裏側を読み解くリテラシーを持たないエリートは、捏造された権威に最も騙されやすい――この皮肉な現実は、情報が氾濫する現代においてより一層の重みを持っています。
これは明日の私たちの姿かもしれません
これは、「高学歴」の人だけの話でありません。
世間の自己愛の強い人は、みんなその予備軍なのです。
自分は本来、もっと世の中に認められるべきであるという、「かけがえのない自分」を自負していませんか。
自分に誇りを持ってはいけない、ということではありません。
等身大の自分を受容せず、妄想で肥大化した自己像を持ち、努力もせずに過ぎた賞賛や肩書等を求めることは、カルト教団に騙されなかったとしても、他者のリア充に、いつも嫉妬と不平不満を抱えながら生きていかなければならないだろうと思います。
できる人は、嫉妬や不平不満なんか言わないで、それが実現するような行動を起こしています。
「何者かになりたかったら、まず何者かになるための努力を行う」ということです。
もちろん、物事には「運」があり、努力すれば誰でも思ったとおりに自己実現するとは限りませんが、少なくとも実践を伴った自己像を追い求める人は、自分の現実と向き合うことになりますから、ありのままの自分を受け入れることができるのではないでしょうか。
そして、既存の「権威」に疑問を抱かず無条件に従うことも、騙される要因であることがわかりました。
学歴、肩書のある人が言っているから本当だろう、などと権威にカタナシになっていませんか。
そして何より、「何者かになりたかったのに、何者にもなれなかった」という不満は、心の何処かにありませんか。

オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会 (PHP新書) – 一橋 文哉

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