小沢昭一の小沢昭一的こころ、大田区女塚(西蒲田)の今昔を辿る

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小沢昭一の小沢昭一的こころ、大田区女塚(西蒲田)の今昔を辿る
小沢昭一(1929年4月6日~2012年12月10日)といえば、日本文化史を研究する俳優であるとともに、大田区出身の著名人でもあります。その小沢昭一が、戸籍上も、また心のなかでも原点としたのが、大田区女塚(おなづか、今の西蒲田)でした。

小沢昭一の出身は女塚。今の西蒲田です。

小沢昭一
Google検索画面より

社長学ABC
『社長学ABC』より

同郷には、後に総理大臣となった羽田孜氏がいます。

本人の話では、小沢昭一は写真館の子弟だったといいます。

中学高校は麻布。

前回、ご紹介した、隣町の池上(池上第二小学校)出身のフランキー堺と同級生でした。

フランキー堺といえば、フランキー堺とシティ・スリッカーズというコミックバンドに始まり、『幕末太陽傳』(日活)や…

フランキー堺
Google検索画面より

麻布中学・高校では、後に文学座の代表まで上り詰める、俳優の加藤武も同級生でした。

加藤武
Google検索画面より


『仁義なき戦い』より

その加藤武が、3年前に、かつての松竹蒲田撮影所の跡地にある文化施設『アプリコ』などで開かれた、第2回蒲田映画祭(シネパラ蒲田)でスペシャルトークショーに登場しました。

第2回蒲田映画祭

スペシャルトークショー

大田区出身の小沢昭一に代わって、小沢昭一の大田区に対する思い、さらには平和に対する思いを述べたものです。

その際、「資料」として、「蒲田少年、小沢昭一こころのふるさと」というB4サイズの印刷物が配布されました。

蒲田少年、小沢昭一こころのふるさと

これは、その後も毎年、開催される蒲田映画祭で配布されています。

では、この記憶は間違いないのか。

また、そうだとして、今はどうなっているのか。

それを確認すべく、地図に従って辿ってみました。

往年の大女優の住んでいた家も説明板なし

まず、JR蒲田駅西口です。

JR蒲田駅西口

グランデュオ蒲田を出て北西の方向に行くと、日本工学院、東京工科大学があります。

小沢昭一は地図で、「省線京浜線」(現京浜東北線)の西口から出ていた道路を女塚通りと書いています。

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工学院通り

現在の女塚通りは、そこから少し離れた工学院通りと呼ばれているところがその名称を引き継いでおり、小沢昭一の指している通りにあったとされる「第一薬局」は、現在ダイチ薬局という看板になっています。

ダイチ薬局

「第一」と「ダイチ」は、小沢昭一の記憶違いなのか、屋号がかわったのか、そもそも全く別の店なのか、そのへんは定かではありません。

地図の2番の女塚神社は、小沢昭一がこれまた大変思い入れがあるようで、亡くなったら魂がいくと言っていたらしいのですが、お寺ならともかく、神社が「魂」を受け入れるのでしょうか。

女塚神社

女塚神社の近くには、小沢昭一が言うところの相生尋常小学校、今の相生小学校があります。

相生小学校

『突貫小僧』という映画の舞台になったそうですが、残念ながら私は観ていません。

学校の周囲がどううつっているのかは興味があります。

地図には、日本映画草創期・大正・昭和期の人気女優である川田芳子の自宅があったところも記されています。

川田芳子は、栗島すみ子岩田祐吉のコンビと並んで松竹蒲田のドル箱コンビだったといわれています。

さすれば、日本映画史上に名前を残す大物のはずですが、小沢昭一の地図に記された場所には碑も解説板もなく、韓国食品店の入ったビルが建っていました。

川田芳子

大城通りにも細かい記述がなされています。

大城通り

たとえば、小沢昭一少年を殴ったいじめっ子の住んでいた染物屋の跡地などもあります。

まあ、このへんの探索はやめておきましょう(笑)

そして、地図に記されていた、小沢昭一の生家です。

小沢昭一の生家

写真館とのことでしたが、現在はインテリア会社の建物があるだけです。

万物は生成・発展・消滅するといいますが、馬込文士村のように、小沢昭一や川田芳子についての説明板ぐらいはあってもいいような気がします。

ラジオのこころ (文春新書)

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  • 作者: 小沢 昭一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 単行本

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