芥川龍之介の『魔術』という短編小説では、大田区大森の「馬込文士村」にあったホテル(洋館)が舞台になったといわれています

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芥川龍之介の『魔術』という短編小説では、大田区大森の「馬込文士村」にあったホテル(洋館)が舞台になったといわれています

芥川龍之介の『魔術』という短編小説では、大田区大森の「馬込文士村」にあったホテル(洋館)が舞台になったといわれています。現在はマンションなどになっていますが、居住経験のない芥川龍之介が小説に描くほど、当時の馬込文士村は居心地の良いところだったのかもしれません。

このブログで、何度かご紹介しているのが、馬込文士村です。

馬込三寸にんじんまんじゅうは馬込文士村商店街の御菓子司わたなべで販売する大田区馬込の特産品にんじんまんじゅう和菓子
馬込三寸にんじんまんじゅう。馬込文士村商店街の御菓子司わたなべで売っています。大田区馬込の特産品を使ったご当地商品です。そのほか、「文士村」の文字が刻まれている半月状のつぶあんをくるんだ『馬込文士村馬込の月』、こしあんの『文士村まんじゅう』...
馬込文士村(大田区山王など)は室生犀星の説明板があり読むと大岩雄二郎(ゆうひが丘の総理大臣)との接点を感じます
馬込文士村といえば、日本の近代文学を支えた作家や詩人や芸術家などが、大正末期から昭和初期に移り住み、互いの家を行き来し交流した場所。今も記念館や居住跡案内板がある散策コースです。室生犀星(1889~1962 詩人・小説家)その一人でした。
大田区立尾崎士郎記念館(山王)は1954年に建てられた居宅を再現し2008年5月にオープンした馬込文士村の象徴的施設
大田区立尾崎士郎記念館(大田区山王)に行きました。1954年に建てられた居宅を再現して2008年5月にオープンしたものです。馬込文士村は、当時の文士たちの説明板や記念館などをいくつか建てていますが、当時を再現した居宅形式は見応えがあります。

馬込文士村というのは、馬込文士村とは、JR大森駅西口から都営地下鉄浅草線西馬込駅までの一帯にある、文学史上近代(明治から昭和前半)に活躍した作家・哲学者・画家などの邸宅を、記念館として残したり記念碑を建てたりした散策コースです。

かつて大森には、作家や詩人など文士が集中的に居を構えており、現在もその人々の住んでいた場所には説明板がたつ散策コースになっています。

説明は大田区公式サイトから引用させていただきます。

馬込の地で新婚生活を送った宇野千代、尾崎士郎が多くの文士に声をかけたことなどが発端となり、大正末から昭和戦前頃、大森山王から馬込周辺に多くの小説家、詩人、美術家たちが移住し、後に「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/jyosetuten24.html

その文士村の中にあった、望翠楼ホテルというというところに、多くの文士が集っていたといわれています。


意見や情報交換をする集会所みたいなものですね。

で、そこをモデルとした洋館を舞台にした小説を書いたのが、以前ご紹介した、芥川竜之介の『魔術』という小説です。

作中にも、大田区大森と書かれていており、道順の描写も、坂道が多いなどリアリティがあったので、本当にその場所はあるのか、気になっていました。

で、同じことを考える方はおられるようで、馬込文士村ガイドの会会員の方が関心を持ち調べたところ、谷崎潤一郎と芥川龍之介の二人の短編小説に、印度人マティラム・ミスラという人が登場するのですが、作品によってミスラの住む洋館は異なる場所として描かれています。

クリックして202312-2.pdfにアクセス

芥川の作品の洋館は、その望翠楼ホテルということです。

簡単に、芥川竜之介の『魔術』についてご紹介します。

芥川竜之介の『魔術』とは……


Wikiにも出ているので、AI(Ahrefs)に結末まで要約してもらいます。

ミスラ君はインド魔術の使い手であり、「私」は彼の魔術を見せてもらう約束をしていた。

彼は魔術が誰にでも使えると説明するが、欲のある人間には使えないと警告する。

魔術を学ぶためには欲を捨てる必要があるとされ、「私」はそれができると答える。

1ヶ月後、「私」は友人たちと雑談をしている際、魔術を使うように頼まれる。

暖炉の中から燃えている石炭を取り出し、それを金貨に替えることに成功するが、友人たちはその金貨を戻すことを拒む。

戻してもらうためゲームで勝負することになり、「私」は魔術を使わず次々と勝利を収め、友人たちが全財産を賭けることになる。

だがその時「私」は欲に駆られ、魔術を使って勝利を収めるが、突然、カードのキングが現れ、「私」が夢を見ていたことに気づく。

実際には、彼はミスラ君と向かい合って座っており、全ては数分の間に過ぎない夢であった。

ミスラ君の洋館(望翠楼ホテル)はマンションに


人間の欲を描いた物語ですが、その洋館の舞台になった望翠楼ホテルは、現在マンションなどになっていました。

ひとさまがお住まいなので、ぼかしを入れます。

マンション

馬込文士村が舞台だったわけですが、実は芥川竜之介自身が、文士村に居住した記録はありません。

文士村にご同業がたくさんいて、中でも北原白秋は盟友、室生犀星は家族ぐるみの付き合いだったそうなので、たぶん何度も訪ねているうちに、芥川さんはすっかり大森が気に入ってしまったのではないでしょうか。

洋館は、作品の説明通り坂の上にあり、坂を下りると「ジャーマン通り」というバス通りに出ます。

名前の由来はドイツ学園があったことだそうですが、横浜中華街のような感じではありません。ただの道路。「ドイツ」は名前だけです。

ジャーマン通りを超えると、龍子記念館もあります。

龍子記念館とは、画家・川端龍子の喜寿の記念に自身の発意と設計によって設立されたそうです。アトリエを再現し、絵筆や墨なども展示されているかなり大きな記念館です。

文士村に行かれたことはありますか。

近郊の方は、話の種に1度いかがでしょうか。

馬込文学地図 (中公文庫 こ 21-7) - 近藤 富枝
馬込文学地図 (中公文庫 こ 21-7) – 近藤 富枝

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