日本には古代より仏教が根付き、多くの仏像が全国に造立されてきました。その中でも「日本三大大仏」と呼ばれる存在は、日本人の心や文化に深く根ざしています。本記事では、奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして近年「第三の大仏」として脚光を浴びる牛久大仏について詳しく紹介します。
さらに、これらの大仏と関わる宗派──華厳宗と浄土真宗東本願寺派──についても解説します。
奈良の大仏 ― 日本仏教の象徴
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— 華厳宗大本山 東大寺【公式】 Tōdaiji Temple (@todaiji) May 10, 2022
奈良の大仏は、東大寺に鎮座する「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」です。奈良時代、聖武天皇の勅願により造立され、完成は752年。高さ約15メートルもの巨大な青銅仏は、当時の国家プロジェクトとも言える壮大なスケールでした。仏教の力で国家を安定させるという聖武天皇の願いが反映されています。
当時の日本は天然痘の流行や政変など社会的不安が続いており、聖武天皇は仏教の力で国を守ろうと考えました。大仏造立にはのべ260万人もの人々が動員され、当時の日本の総人口の約半数に相当すると言われています。この事業は単なる仏像制作ではなく、国全体を挙げての国家的プロジェクトだったのです。
現在私たちが目にする奈良の大仏は、台座や膝の一部などごく一部が当初のもの。歴史の中で二度にわたって焼失し、その都度再建されてきました。特に1180年の平重衡の兵火と1567年の三好・松永の戦いによる焼失は大きく、現在の姿は江戸時代と明治時代の修復を経たものです。それでも、創建当時の面影を随所に残し、日本の歴史の生き証人としての風格を漂わせています。
奈良の大仏と華厳宗
奈良の大仏が安置される東大寺は、「華厳宗(けごんしゅう)」の大本山です。華厳宗は中国から伝来した宗派で、「華厳経」を中心教典とします。宇宙の調和や諸仏の縁起を説く壮大な世界観が特徴です。
華厳宗の教えの核心は「一即多・多即一」という考え方にあります。一つ一つの存在が互いに関連し合い、調和しながら全体を構成しているという宇宙観です。奈良の大仏である盧舎那仏は、この華厳の世界観を体現する存在として捉えられています。蓮華蔵世界という宇宙全体を統べる仏であり、すべての存在を包容する仏なのです。
東大寺は日本仏教の中心として長い歴史を持つ寺院です。かつては日本全国にあった国分寺の総本山としての役割も担っていました。現在でも毎年3月2日から14日まで行われる「お水取り」と呼ばれる修二会(しゅにえ)は、1250年以上も一度も途切れることなく続けられている日本で最も歴史のある宗教行事の一つです。
鎌倉の大仏 ― 武士と民衆の信仰の証
鎌倉の大仏は、浄土宗高徳院に鎮座する阿弥陀如来像です。鎌倉時代中期ごろに建立され、高さは約11.3メートル。奈良の大仏に次ぐ銅造の仏像であり、屋外に堂々と座す姿が印象的です。かつては仏殿(大仏殿)があったものの、地震や津波で失われ、現在は青空の下にその威容を見せています。
鎌倉大仏の建立の経緯については諸説ありますが、初めは木造で造られ、のちに銅造に改められたと考えられています。建立を発願した人物もはっきりとはわかっておらず、当時の幕府の要人や有力な僧侶、あるいは一般民衆の寄進によるものなど様々な説があります。これは奈良の大仏が明確に国家事業として造られたのとは対照的で、鎌倉時代の社会構造の変化を反映していると言えるでしょう。
鎌倉大仏の特徴は、その穏やかでありながらも力強い表情にあります。鎌倉時代らしい写実的な表現がなされ、当時の仏師の高度な技術を見て取ることができます。また、内部に入ることができる数少ない大仏としても知られ、胎内からその構造を間近に見学できる貴重な体験ができます。
鎌倉の大仏と浄土宗
奈良の大仏を訪問したことで、日本三大大仏である鎌倉(高徳院)・奈良(東大寺)・高岡(大佛寺)※諸説有を制覇。三大大仏(高岡説の場合)には多治比と河内鋳物師が関わっているので、いつか深堀りしていきたい。ネットに情報が少ないのが残念。#日本三大大仏 pic.twitter.com/8Ke1XsUUrl
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) September 26, 2025
鎌倉の大仏が属する高徳院は「浄土宗」に影響された寺院です。浄土宗は法然上人によって開かれた宗派で、阿弥陀仏の救いを信じ、念仏を称えることによって極楽浄土に往生できると説きます。
鎌倉時代は、従来の貴族中心の仏教から、武士や庶民にもわかりやすい仏教へと変化した時代でした。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという簡潔な教えが特徴で、専門的な修行や難しい学問がなくても実践できるため、広く民衆に受け入れられました。
鎌倉の大仏は阿弥陀如来像です。阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であり、すべての生き物を救うために48の誓願を立てた仏です。鎌倉の地に建立されたこの大仏は、激動の鎌倉時代を生きる人々の、来世への願いを集めた念仏信仰の象徴と言えるでしょう。
第三の大仏は?──牛久大仏の登場
小さい秋どころか牛久大仏ぐらいのサイズの秋がいきなりやってきたな。 pic.twitter.com/cmdM5vDx8u
— ボーナム (@spdkm) September 18, 2025
「日本三大大仏」の三番目は地域や時代、価値観によって異なるとされてきました。かつては岐阜大仏(乾漆・漆喰造り)や東京の上野大仏(銅造)などが挙げられることもありましたが、現在では茨城県牛久市の「牛久大仏」が三番目として広く認知されています。
牛久大仏は1993年に完成した高さ120メートルの巨大な阿弥陀如来像(像高は100メートル、台座を含む総高120メートル)です。ギネス世界記録にも「世界最大の青銅製の仏像」として登録されています。内部は展望台となっていて、エレベーターで昇ることができ、体験型の仏教施設として人気です。
牛久大仏の特徴は、その現代的なアプローチにあります。内部は5階建ての構造になっており、様々な仏像や展示物を見学しながら仏教の教えを学ぶことができるようになっています。最上階の胸部展望室からは関東平野を一望でき、天気の良い日にはスカイツリーや富士山も見渡せます。
このように、牛久大仏は単なる巨大な仏像ではなく、現代に仏教を伝える教育的・文化的施設としての役割も担っているのです。
牛久大仏と浄土真宗東本願寺派
牛久大仏は「浄土真宗東本願寺派(東京都・東本願寺)」に縁を持つ施設です。浄土真宗は親鸞聖人によって開かれた日本最大級の仏教宗派であり、阿弥陀仏の本願にすがって念仏を称えることで救済を受けるという思想を根本としています。
浄土真宗は、師である法然の教えを発展させた親鸞によって13世紀に確立されました。親鸞は「悪人正機説」を唱え、煩悩に満ちた凡夫こそが阿弥陀如来の救いの主な対象であると説きました。この思想は、当時の既成仏教にはない画期的なものでした。
東本願寺派は、浄土真宗の中でも「真宗大谷派(東本願寺)」を中心に発展した宗派ですが、牛久大仏は元々は「浄土真宗東本願寺派(東京都)」の関係寺院によって建立されました。念仏とご縁を結び、現代社会に仏教の教えを広める役割を担っています。
牛久大仏の建立背景には、現代社会における仏教の意義を問い直し、より多くの人に仏教に親しんでもらいたいという願いがあります。その巨大さは、現代における仏教の存在感を示すとともに、多くの人を惹きつけるための方法でもあるのです。
華厳宗とはどんな宗派か
華厳宗は奈良の東大寺を根本とする伝統ある宗派です。教義の中心は「華厳経」にあります。「縁起」と「相即(そうそく)」の理を重んじ、宇宙の全てが仏の法身(ほっしん)である、と説きます。
華厳宗の思想の核心は「事事無礙(じじむげ)」という概念にあります。これは、すべての事物や現象が互いに障りなく融通し合い、調和しているという考え方です。一つのものの中にすべてのものが含まれ、すべてのものが一つのものに帰するという世界観は、現代の生態学的思想やネットワーク理論にも通じるものがあります。
東大寺をはじめとする華厳宗の寺院は、荘厳な仏教美術や建築でも知られています。東大寺の法華堂(三月堂)や戒壇院の四天王像など、華厳宗の仏教美術は日本の文化財の中でも特に重要な位置を占めています。
浄土真宗東本願寺派とはどんな宗派か
浄土真宗は室町時代以降に全国に広まり、親鸞聖人の教えを継ぐ宗派です。その中でも「東本願寺派」は「真宗大谷派」として知られ、京都の東本願寺(真宗本廟)を中心に多くの寺院を展開しています。
浄土真宗の教義の特徴は、「他力本願」と「悪人正機」に集約されます。「他力本願」とは、自分自身の力(自力)ではなく、阿弥陀如来の本願力(他力)によって救われるという考え方です。また「悪人正機」とは、自分自身を罪深い存在と自覚する者こそ、阿弥陀如来の救いの対象であるという思想です。
宗派としては、身近で開かれた寺院活動や社会貢献にも力を入れています。門徒(信徒)の家庭での信仰生活を重視し、僧侶の妻帯や肉食を認めるなど、現実的な生活の中での信仰実践を大切にしています。また、学校教育や社会福祉活動にも積極的で、現代社会における仏教の役割を模索し続けています。
おわりに
日本三大大仏は、時代や宗派による多様な仏教観、技術、美意識の結晶です。奈良の大仏は国家の安泰を願う国家的プロジェクトとして、鎌倉の大仏は民衆の信仰の結晶として、そして牛久大仏は現代における仏教の新しい形として、それぞれの時代の要請に応じて建立されました。
華厳宗や浄土真宗という宗派の伝統を学びながら、日本の宗教文化の奥深さを感じてみてはいかがでしょうか。それぞれの大仏は、単なる観光の対象ではなく、日本人の精神史を刻んできた生きた文化遺産なのです。
これらの大仏を訪れる際は、その背後にある思想や歴史にも思いを馳せてみてください。きっと、より深い理解と感動を得られることでしょう。
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