
松本智津夫元死刑囚の遺骨を巡る相続と管理の矛盾
松本智津夫元死刑囚の遺骨引き渡しに関する東京高裁の判決が話題です。元死刑囚の次女が国に対して遺骨の引き渡しを求めた訴訟で勝訴。鹿子木康裁判長は、一審に続き、国に引き渡すよう命じられました。以下に、今回の判決の背景や議論のポイントを整理します。
松本智津夫元死刑囚(麻原彰晃)は、2018年に死刑が執行され、その遺骨は国によって保管されていました。
次女は、国が遺骨を引き渡すことを拒む権利はないと主張しました。
国側は、遺骨がオウム真理教の後継団体や信者に利用される可能性があるとして引き渡しを拒否していました。
裁判では、次女が遺骨を自宅の金庫で管理する予定で、セキュリティー契約も結ばれていることから、適切な保管態勢と認められました。
国の管理が必要かどうかは、遺骨の特殊性と次女の意向を考慮して判断されたようです
刑事収容施設法には遺骨返還拒否の規定がない
松本元死刑囚の次女が再び勝訴 国に遺骨引き渡し命じる―東京高裁https://t.co/6Cg9LlkxRv
松本死刑囚の遺骨引き渡し訴訟で、東京高裁は5日、国に引き渡しを命じました。国側は悪用などを主張しましたが、認められませんでした。
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) February 5, 2026
オウム事件は、サリン攻撃などで多数の犠牲者を出したテロで、後継団体が今も活動中です。
遺骨が「聖遺物」として崇拝され、信者の結束や新たな事件の引き金になるリスクは現実的です。
政府側は、裁判で「次女が後継団体に渡さない誓約を長期間拒否した」と主張し、危険性を強調していました。
実際、過去のオウム信者による事件再発の懸念は、公安調査庁の報告書でも指摘されています。
死刑囚の遺骨は、家族に返すのが通常ですが、テロリストの場合、例外的に国管理を認める法改正が必要かもしれない、という意見はxにも複数出ています。
欧米では、テロリストの遺体を海葬(ビンラディンのように)して墓参りを防ぐケースがあります。
日本でも、被害者感情を考えると、国が無期限保管や散骨を強行する選択肢は理にかなうかも知れません。
感情論ですが、Xで「返さない方がいい」との声は少なくありません。
ただ、判所が繰り返し指摘するように、刑事収容施設法には返還拒否の規定はなく、次女の財産権を侵害するとみなす法解釈は道理があります。
後継団体とのつながりや悪用の証拠がない限り、抽象的な「可能性」で拒否するのは権利乱用のそしりは免れません。
次女自身は「後継団体と無関係で、厳重保管し静かに弔う」と主張し、家庭用金庫とセキュリティ契約を予定。
これは「ホトケ」として家族が供養する日本的な慣習に合います。
死刑囚でも、死後は私人として扱うのが原則です。
国が管理し続けると、特定の家族を永遠に「危険視」する前例になりかねません。
Xの議論でも、「法律上は返すしかない」との冷静な意見が多く、公安監視で対応可能という指摘もあります。
被害者遺族の感情は尊重すべきですが、裁判が感情論ではなく法で決着がついたのは、順当なことだと思います。
私の結論は、法的・倫理的に家族へ返すのは妥当ですが、安全面の懸念は無視できないので、公安当局の監視を強化した上で引き渡すのが現実的な落とし所だと思います。
「聖遺物」とする危険性
今後は次女側の約束履行が焦点: 次女側「後継団体と何ら関係はない。引き渡されれば厳重に保管し父の死を静かに悼み弔いたい」←国=次女が長期間にわたり遺骨を後継団体に引き渡さないと誓約しなかったことを挙げ後継団体に渡る危険性が十分あると主張>松本氏の遺骨 次女勝訴https://t.co/yiawqFRgKq
— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) February 5, 2026
一般的に、宗教と宗祖(創始者)の遺骨の関係は、宗教の死生観・教えの核心によって大きく異なります。
多くの場合、宗祖の遺骨は単なる「遺体」ではなく、信仰の象徴や霊的な力を持つ「聖遺物」として扱われ、信者の崇敬の対象になることが多いです。
唯一と言っていい例外は仏教で、肉体を過度に重視せず、「法(教え)」を残すことを最優先とする立場です。
それでも、宗祖の言い分を守らず、弟子たちは墓を作ってますけどね。
たとえば、お釈迦様は、『涅槃経』で、「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」(中村元『ブッダ最後の旅-大パリニッバーナ経』岩波書店、1980年、pp.62-63)という、かなり有名な一節があります。
つまり、どんなに尊敬している人でも、いつかは死んでいなくなってしまうんだから、自分自身と(仏教の)教えだけを頼りに生きていくんですよ、と遺言を残しているのです。
ただし、弟子たちは、遺骨を「舎利」として大事にしました。
浄土真宗の開祖の親鸞に至っては、「自分が死んだら京都・賀茂川の魚に食わせろ」(『改邪鈔』第16条)とまで言っています。それじゃ、あんまりだと、弟子たちは火葬して墓を建てました。
ことほどさように、日本では、残された者の慣習で、遺骨を大切に扱うのが普通ですが、遺骨そのものが危険視されるケースは仏教以外の宗教にもなく、旧オウム真理教がいかに危険な団体として今も恐れられているか、ということだと思います。
国が管理すべきか、遺族に返すべきか。みなさんのお考えは、いかがですか。

オウム真理教の子どもたち 知られざる30年 – NHK「クローズアップ現代」取材班


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