池上本門寺の松濤園が今年も3日間限定で公開されます。普段は入れない庭園で池泉回遊式の美しい景色を楽しむチャンス

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池上本門寺の松濤園が今年も3日間限定で公開されます。普段は入れない庭園で池泉回遊式の美しい景色を楽しむチャンス

池上本門寺の松濤園(しょうとうえん)が、今年も3日間限定で公開されます。普段は入れない庭園で、池泉回遊式の美しい景色を楽しむチャンス。1936年(昭和11年)に東京都旧跡に指定されましたが、普段は非公開です。ゆったり歩くだけでも心が整う場所です。

日蓮宗は、身延山久遠寺(山梨)に総本山があり、東京大田区にある池上本門寺(東京都大田区)は宗務を司る大本山だそうです。

私は日蓮宗の信徒ではないので独自解釈ですが、総本山は会社で言えば「代表取締役」、大本山は「全部署担当取締役の創業者」といったところでしょうか。

日蓮宗は、対立関係にある宗派が統一されたもののため、対立関係にあった由緒ある寺院をそのように位置づけ、バランスをとっているようです。

さて、その池上本門寺の境内地には、北側に朗峰会館という、結婚式場やレストラン等の入った複合施設があり、会館内に松濤園という庭園があります。

松濤園という名の庭園は全国にいくつかありますが、今回はこのブログでも何回かとりあげている池上本門寺の裏庭にあります。

本殿とは道路を隔てたところにある、朗峰会館という会食や団体参拝の休憩・参籠ができる建物から見ることができますが、一般開放されているので見学に行きました。

池上本門寺には、江戸時代の初めに作庭されたとされる4000坪に広がる庭園があります。

桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州により作庭されたと伝えられる、約1万3000平方メートルの池泉回遊式庭園です。


慶応4(1868年)年3月、新政府軍の参謀・西郷隆盛と、徳川軍の勝海舟が、松濤園内の四阿(あずまや)茶室浄庵で江戸城無血開城の話し合いを行った場所であり、記念の碑もあります。

池上本門寺の松濤園は、1868年に西郷隆盛と勝海舟が江戸城の無血開城について話し合った歴史的な場所です。

この会談は、幕末の動乱期における重要な出来事であり、江戸城の平和的な明け渡しを実現させるためのものでした。

ここで話し合いが決裂していたら、歴史は変わったかもしれない、という話です。

江戸城無血開城について


江戸城無血開城は、明治維新の過程で新政府軍と旧幕府軍との間で行われた交渉の結果、武力衝突を避ける形で江戸城が明け渡されたことを指します。

この出来事は、戦争を回避し、平和的な政権交代を実現する上で非常に重要でした。

西郷隆盛は、新政府軍の指導者として、勝海舟は旧幕府側の代表として、松濤園のあずまやで会談を行いました。

松濤園は、静かな環境と美しい景観を提供するため、会談に適した場所でした。

西郷と勝の会談は、江戸城の明け渡しに向けた重要な交渉であり、松濤園のあずまやはその歴史的な瞬間を象徴する場所となっています。

園内には、彼らの会談を記念する碑も設置されています。

松濤園は、今でもその歴史を伝える重要な文化財として、多くの人々に親しまれています。


歴史を感じながら、東京都内とは思えない緑豊かな庭園を歩いてみたいと、毎年多くの人が訪れます。

近隣の方は、6日まで公開されているので、いかれては如何でしょうか。

都営浅草線、西馬込駅から徒歩10分、東急池上線池上駅からは15分ぐらいだと思います。

池上本門寺の“ご当地”商品は……


池上本門寺だから、最寄りの駅は東急池上線池上駅、と思われがちですが、都営地下鉄浅草線の西馬込駅がすぐ近くにあります。つまり都心まで一直線です。

ご当地名物もご紹介します。

馬込三寸にんじんまんじゅうです。

大田区馬込というと、高級住宅地のイメージや、馬込文士村などが有名ですが、実は昭和の初め頃、ニンジンを改良して、ずんぐりした朱色のニンジンを開発しており、それが名物になったそうです。

馬込三寸にんじんをすりおろして、白あんの中に練り込んだのが馬込三寸にんじんまんじゅう。

食べた感じでは、にんじんを全く感じません。

にんじん嫌いの人でも、抵抗なく食べることが出来ると思います。


池上本門寺、松濤園、馬込文士村をまわり、おみやげに馬込三寸にんじんまんじゅうを買って帰る。

連休最終日の散策コースにいかがでしょうか。

江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー 470) - 岩下 哲典
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