姓の「読み」を変えた「改姓」の経験を書いたところ「姓のお話。それは重いですね。ご先祖様にかかわりますから」との非難あり

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姓の「読み」を変えた「改姓」の経験を書いたところ「姓のお話。それは重いですね。ご先祖様にかかわりますから」との非難あり

昨日、私が姓の「読み」を変えたという「改姓」の経験を書いたところ、こんなコメントをいただきました。「姓のお話。それは重いですね。ご先祖様にかかわりますから。」。今日はそのことについて、コメントのコメントになりますが、長くなるので記事としてまとめさせていただきました。

当該コメントからは、私自身も深く考えるきっかけをいただきました。

ただし、私の「改姓」は「読み」だけで、字はそのままですから、ご先祖様云々というのは、さすがに大げさすぎる言い方でしょうと感じました。

たとえば、私の母の旧姓は「藤」がつきますが、地元では有名な姓で「とう」、でも東京では「どう」と濁点つきで呼ばれております。

もちろん、濁って「違う読み方」になったところで、字そのものが変わるわけでもなく、ご先祖様云々などという大仰な議論は、未だかつて聞いたことありまっせん(笑)

ということで、本来はこの一言で終わってしまう話なんですが、ただ、姓とはなんだろうということを考えるきっかけになるテーマだと思うので、今日はそれを使わせていただく次第です。

姓が「先祖の連なり」になったのは最近のこと

日本では昔から、

「姓=家の歴史」
「自分は先祖の連なり(=姓の連なり)の中にいる存在」

という刷り込みが、ごく自然に行われてきました。

だから、「姓を変えるのは軽いことではない」

と感じるのかもしれません。

しかし、当時から家制度だった士族や貴族ならともかく、大多数の「農・工・商」の階層にとって、法律で姓をつけることが定められたのは、150年前、つまり、私たちのせいぜい祖父母か、曽祖父母世代になってからのことです。

それまでは通称として、農民は「家名(いえな)」、工・商は「屋号」を使っていました。

「源七家」「庄兵衛家」「大屋」「小屋」「近江屋」「伊勢屋」みたいな感じです。

大屋さんとか、伊勢さんとか、明治になってそのまま姓にした人もいるみたいですが。

一方、士族にしても、代々続いた姓を、婿養子に入ることで「終了」することはめずらしくありませんでした。

以前、写真でご紹介した私の曽祖父は、伊達藩の筆頭家臣傍系の末裔でしたが、家督相続者ではなかったため、庄屋に婿養子に入りました。

高祖父もやはり伊達藩のおサムライさんでしたが、婿養子に入りました。

士族は今で言う公務員ですから、生産手段を持たない無産階級なので、分家されず家督を相続できなければ、資産家の婿養子になるしか生きる道はなかったのです。

では、「姓を捨てた」私の曽祖父や高祖父は、責められるべきなのでしょうか?

だいたい、そんな事を言ったら、現在の日本は、婚姻に伴う改姓の約97%が女性側だと言われています。

もし改姓がそれほど重大なものであるなら、既婚女性のほとんどについて、「先祖に関わる」ことが日常的に起きていることになります

かといって、夫婦別姓も認めたくないというわがまま(笑)それじゃあ、女性が可哀想だ!

要するにそこには、論理や法律というよりも、「そうあるべきだ」という、無意識の前提が潜んでいるように思えてなりません

女は結婚して改姓しても仕方ない。男は万世一系の姓を守るべし、という前提です。

「先祖に関わる」とはどういうことか

姓を変えたときに起きるのは、

・戸籍上の表記が変わる
・社会的な呼び名が変わる

という事実です。

一方で、姓を変えようが

・先祖との血縁が変わるわけではない
・先祖の存在が消えるわけでもない

という事実もあります。

むしろ、先祖との関係の実質的な価値は、後者にこそあるのではないでしょうか

私の「名」には前述の曽祖父の名の一文字が入っていることもあり、わたしはむしろひとさま以上に「先祖」を意識し続けてきたかもしれません。

私より年配のイトコたちが知らんぷりしていても、私は一面識もない祖父の年忌法要(23~50回忌まで)は、やはり一面識もないどころか血縁関係すらない私の母と2人きりで行ってきました。

わたしは実践的に、先祖を受け止めて生きてきたという自負があります。

取れる戸籍謄本はすべて取得し、家系図まで作って所持しているのは、やはり親族では私一人だけだと思います。

一方、先祖の姓を名乗っているイトコたちは、な~んにもしていません。自分の曽祖父の名前も知らないんじゃないかな。

ですから、姓を名乗り続けさえすれば、先祖孝行というわけではないでしょう。

姓(名前)は誰のためのものなのか

姓は、先祖のためのものでしょうか。

私は、姓は、自分の人生を前に進めるためのものだと考えています。

もちろん、先祖のために自分があるという、わたしから見れば摩訶不思議な人生観も否定はしません。

その価値観に至った理由は、人それぞれですから。

ただ、少なくとも、それを選び取る余地は、誰にでもあってよいのではないでしょうか。

今回の私の結論は、

「姓のお話。それは重いですね。」

確かにそう感じる人もいるでしょう。

しかし、それを他人に当てはめて断じられるほど、一枚岩の問題ではないと思います。

昨年から、戸籍にも読み仮名が入るようになったため、私のように「読み」だけを「改姓」できるケースはもうないと思いますが、夫婦別姓など、姓についての議論は、これからも行われると思います。

みなさんも、ご自身のお考えを決めておられると、世の中の出来事や法制度についての理解がしやすくなるのではないかと思います。

姓を変えることはいかが思われますか?

図解でわかる 戸籍の見方・読み方【第2版】 - 上原 敬
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