
3月16日の参院予算委員会で「子どもの自殺対策」について問われた高市早苗首相の「7代前の先祖が…」答弁が、ネット上で大きな波紋を広げています。結論から述べると、家系神格化につながる「命のリレー」論に、わたしは賛成できません。
高市早苗首相は、立憲民主党の小沢雅仁参院議員から、1週間で10人の子どもが命を絶つ「子どもの自殺対策」について問われた際、「あなたは1人で生まれてきたのではない」「7代前まで遡れば250人を超えるご先祖様がいる。その奇跡的な幸運を共有したい」と、先祖からの命のリレーを強調する持論を展開しました。
この発言には、“ひろゆき”こと西村博之さんが。「『あなたの命は重い』と言うことで、自殺を辞めると思っている大人が居ることにびっくり」と切り捨て、「子どもが何を考えているかに本当に興味がないんだろう」と、自殺の理由と向き合わない高市発言の乖離ぶりを痛烈に批判しました。
紀藤正樹弁護士も、2の7乗をベースにした計算(7代前まで遡れば250人)の速さに触れつつ、「旧統一協会の『先祖解怨』の問題性につき、かなり勉強されているようにも見えます。いろいろ気になります」と皮肉交じりに指摘。
どちらも、傾聴に値する意見だと思いますが、一方では知ったかぶったネトウヨが、「仏教」を根拠に、
「仏教には古くから“七世父母(しちせいふぼ)”という言葉があり、過去7代にわたる先祖を供養する文化が存在します。」などと、擁護の反論をして論争となっています。
いやね、それはわたしが修士の学位をとったテーマだから、ネトウヨの知ったかぶりに対してマジレスの釘を刺すことに社会的使命(笑)があると思い、一言しておきます。
そのまえに、高市さん、「今上天皇」を「こんじょう」と読んでしまいビジネス右翼がバレましたね(笑)
仏教では先祖の数など数えません!
今日の情報源です。
高市早苗首相、命絶つ子どもの議論で「7代前の先祖が…」突然の“意味深”発言にSNS議論沸騰 : https://t.co/1xhJh6BmhK #高市早苗 #政治 #ひろゆき #自殺
— 週刊女性PRIME (@shujoprime) March 17, 2026
このブログでは再三書いていますが、もともと釈迦仏教に「家系(ご先祖様)」の教えはありません。
煩悩をなくしてこの世に未練を残さず人生を終えましょう、という教えなのですから、家系(家柄)なんかにこだわったら、むしろ逆に「業」が生じるではありませんか。
例外として、在家信者には「存命中の親」を大切にすることは教えられていますが、「亡くなった先祖(霊)」を祀る習慣はありません。
その後、発生した大乗仏教では、万物は「縁起」と「空」で成り立っているので、自我も家系も仮の集合(仮名)、固定的な「血の連続」は実体ではない、と考えます。(日本はほぼ大乗仏教です)
では、先祖を敬うという教えは、いったいどこからきたのか。
仏教がインドから中国に伝わった際に、中国の祖霊信仰を採り入れたものです。
塔婆とか位牌とか、そういうものは中国の祖霊信仰から来ているので、もともと仏教にはなかったのです。
そのため、中国では、中国の信仰を、あたかも仏教にあったように創作する必要から「偽経」が作られ、たとえば先祖の霊をもてなす『お盆』も、『仏説盂蘭盆経』という偽経がもとになってはじまったものです。
仏教のあれこれは書き出すときりがないですが、結論として、少なくとも「7代さかのぼれば◯人」という実体化された生命観は、仏教哲学としてはきわめて世俗的・方便的表現であり本来はありえないということは、この分野の研究者の一人として強調しておきます。
結論(かなり率直に)
「七世父母」
→ 中国仏教(特に民間信仰融合)の産物
特定宗派の核心教義ではない
→ 儀礼・文化として広く共有
上座部仏教とは整合しない
→ むしろ異質
大乗哲学(縁起・空)とも厳密には緊張関係
→ 方便・倫理的メッセージとしての使用
高市首相の発言は、
仏教思想というよりは
「日本的祖先観+道徳教育的レトリック」
に近いです。
つまり
仏教の語彙(七世父母)を使っているが
内容は「生命の尊さの物語化」
です。
親>子ではなく子>親だろう
もうひとつは、ひろゆきさんの言い分です。
ひらったくいうと、その人の人生はその人のもので、先祖のために生きているわけではない、という当たり前の話をしているにすぎません。
その人は、その人自身の人生で、何らかの悩みにぶち当たり、死を選択肢としたのに、そこには触れずに、「先祖のために死ぬな」って、それはさすがに高市さん的外れでしょう。
高市発言の背景には、親孝行しろだの、生まれてきたことを感謝しろだのといった、尊属史観を見ることができます。
いや、わたしから言わせればそれは逆だろう、と思います。
親が、子に対して「生まれてくれてありがとう」と感謝するものではないのでしょうか。
親は好き好んで子を作ったけれど、子はその親から生まれたいと希望したわけではないんですよ。
そこを勘違いしたら毒親の始まりです。
親の皆さん、我が子に感謝していますか。
もっとも、大乗仏教の「縁起」に従えば、親子は対等なんですけどね。
いずれにしても、命の尊さは先祖の数ではなく、その人自身に対する尊厳です。
みなさんは、この問題、どう思われましたか。

先祖の話 柳田国男集 (古典名作文庫) – 柳田国男, 古典名作文庫編集部


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