
選択的夫婦別姓が議論されています。野党や与党の一部だけでなく、労働組合の「連合」や経団連などからもそれを望む声が上がっています。しかし、これらの議論はしばしば表面的であり、新制度への幻想に基づいているのではないかと指摘する向きもあります。
女性の社会進出が進み、個人の多様性が尊重される現代において、その導入を支持する声は高まっています。
しかし、その議論の多くは、表面的で安易な議論に終始しているように感じます。
本稿では、批判的な視点から、選択的夫婦別姓の問題点を整理し、その議論の根底にある家制度への幻想に焦点を当てて考察したいと思います。
「選択的夫婦別姓」の矛盾点
「選択的夫婦別姓」の支持者の多くは、「旧弊な家制度を否定するから」「女性の個人の自由を守るべきだ」といった主張を展開します。
確かに、家制度は過去の遺物であり、現代社会においてその存在意義は薄れています。
しかし、選択的夫婦別姓という制度は、その旧弊な家制度を否定するどころか、新たな問題を生み出す可能性を孕んでいるのではないでしょうか。
そもそも、選択的ではなく、絶対的別姓論者の福島瑞穂さんですら、現在の夫婦同姓は「戦前の家制度の『帰結』であるところの夫婦同姓の規定と根拠が全く違う」(福島瑞穂著『結婚と家族』岩波書店p.157)と明言しています。
つまり、戦前の「夫婦同姓」と、現在の「夫婦同姓」は、弁護士・福島瑞穂としては違うことを明言しています。
なんとなれば、現在の家制度は、〇〇家に嫁入り、もしくは婿入するという考え方ですが、新しい民法のもとでは、新しい戸籍による新しい家庭の姓という考え方だからです。
さすれば、「家制度を否定するために選択的夫婦別姓制度にかえるべきだ」という意見は、破綻しています。
では、その姓の選び方が「自由」でないことが問題なのでしょうか。
2023年には、結婚した夫婦のうち約94.5%が夫の姓を選択しているといわれます。
たしかに、圧倒的に夫の姓です。
しかし、それは、現在の民法のせいでそうなっているわけではありません。
夫の姓を選ぶことが常識であると思ってしまう「男社会」であることに根拠があるのですから、それは広い意味での文化の問題であり、法律のせいにするのは論理のすり替えでしょう。
中には、そもそも自由に姓を選べない、ということに不満を言う人がいます。
しかし、平成27年(2015年)最高裁判決では、憲法13条をもとにこのような判決が出ています。
「氏は、名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであり、自らの意思のみによって自由に定めたり、改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わない。」
日本は法治国家です。
これを、法的にどうやって覆しますか。
そして、そんなに「自由」というのなら、そもそも旧姓にこだわること自体が、最大の自己矛盾ではないでしょうか。
なんとなれば、「佐藤」と「鈴木」が結婚して、佐藤か鈴木かしか名乗れないわけです。
本当に「自由」な「選択」というのなら、「佐藤」と「鈴木」が結婚して、「田中」や「高橋」を名乗っても良い選択であるべき、とどうして主張しないのでしょうか。
それは、結局のところ、「選択的夫婦別姓」なるものは、家制度を否定どころか、家制度に囚われている、むしろ現行制度よりも後退した制度であることにほかなりません。
「夫が夫の姓を名乗り続けるのなら、私だって私の家系の姓を名乗り続けたい」というのが、「選択的夫婦別姓」の本音だからです。
冒頭の繰り返しになりますが、「夫が夫の姓を名乗り続ける」のではなく、新しい戸籍の婚姻姓であることは、福島みずほさんだって明言しているわけです。
つまり、「選択的夫婦別姓」なるものは、家制度の「姓」という概念を維持し、それを夫婦間で共有するということに他なりません。
むしろ、家制度からの脱却を目指すのであれば、繰り返しになりますが、「鈴木」と「佐藤」が結婚して「高橋」を名乗るような、夫婦の姓を完全に別にする制度を導入すべきではないでしょうか。
「選択的夫婦別姓」における選択肢により、夫婦は常に姓の選択というプレッシャーに晒されることになります。
これは、夫婦間の関係に新たな負担を強いることになり、個人の自由を本当に尊重しているとは言えないでしょう。
生まれてくる子の姓はどうか
また、選択的夫婦別姓は、子供の名前にも影響を与えるといわれます。
夫婦が別姓を選択した場合、子供の名前はどちらの姓になるのか、あるいは両方の姓を組み合わせるのか、といった問題は避けて通れません。
これは、子供にとって混乱を招き、アイデンティティの確立を阻害する可能性もあります。
さらに、選択的夫婦別姓の導入は、法制度の複雑化を招きます。
姓の選択に関する手続き、子供の名前に関するルール、相続に関する問題など、様々な課題を解決する必要があります。
これらの課題を解決するためには、多大な費用と労力が必要となり、国民の負担が増加する可能性も否定できません。
家制度の否定になっていない
そして、最も重要な点は、選択的夫婦別姓の議論が、家制度の本質的な問題を見過ごしているという点です。
家制度は、単に姓という形式的なものだけでなく、家という単位で人々を束縛し、個人の自由を制限するシステム全体を指します。
選択的夫婦別姓は、そのシステムの一部分に手を加えるだけで、本質的な問題解決には繋がらない。
例えば、家制度は、女性を家事や育児に専念させる役割に固定化し、社会進出を阻害してきました。
また、男性は、家を守り、家業を継ぐという役割を強制され、個人の自由な選択を制限してきました。
これらの問題は、選択的夫婦別姓を導入するだけで解決するものではありません。
むしろ、家制度を解体するためには、個人の自由を最大限に尊重し、誰もが自分の人生を自由に選択できる社会を構築する必要があります。
そのためには、家制度の根幹にある価値観、例えば「家を守る」「家業を継ぐ」といった価値観を問い直し、新たな価値観を創造する必要があります。
まとめ
選択的夫婦別姓は、一見、進歩的な制度のように見えるかもしれません。
しかし、その議論の根底にあるのは、制度への幻想であり、表面的な問題解決に終始しています。
真に個人の自由を尊重し、家制度を解体するためには、より根本的な視点からの議論が必要となるでしょう。
選択的夫婦別姓の導入を検討する前に、私たちは、家制度の本質的な問題について深く考察し、その解決策を真剣に模索しなければなりません。
そうでなければ、私たちは、新たな不平等を創出し、個人の自由を制限する、かたちの良い牢獄に閉じ込められてしまうことになるでしょう。
最後に、選択的夫婦別姓は、あくまでも手段であり、目的ではありません。
個人の自由を尊重し、誰もが自分の人生を自由に選択できる社会を構築することが、私たちの目指すべき目的です。
そのために、私たちは、選択的夫婦別姓という制度に囚われることなく、より広い視野で社会全体を見つめ、真に自由で平等な社会を創造していく必要があります。

夫婦別姓に隠された〝不都合な真実〟: 「選択的」でも賛成できない15の理由 – 椎谷 哲夫


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