SNS上の訃報ポストに死因を明かしていないことを非難するコメントが多数。いちいち死因まで明かす必要あると思いますか?

この記事は約5分で読めます。

SNS上の訃報ポストに死因を明かしていないことを非難するコメントが多数。いちいち死因まで明かす必要あると思いますか?

「死因を書いていないとは何事だ」
「何で亡くなったのか説明すべき」

最近、SNS上で注目を集めた出来事があります。


娘さんを亡くした遺族が訃報を投稿したところ、死因を明かしていないことを非難するコメントが多数寄せられたというのです。この出来事は、私たちが訃報とどう向き合うべきか、深く考えさせるきっかけとなりました。

変化する訃報の在り方


「知り合いでも関係者でもない人達が!それを知ったから、どうだというのだ!」という毬谷友子さんのコメントはもっともだと思います。

確かに、ここ数年で有名人の訃報発表の在り方は変化しています。かつては「永眠」「逝去」といった表現に留まらず、病死の場合には具体的な病名が、自死の場合には「不幸な出来事により」などと婉曲的に発表されることも多かったです。しかし最近では、プライバシー保護の観点から、死因そのものを公表しないケースが増えています。

例えば2023年に急逝した人気俳優のマシュー・ペリーは、その死因が当初公表されず、後日になって初めて詳細が明かされることとなりました。海外セレブでも、死因をすぐには明かさない選択をする遺族は少なくありません。

死因開示を求める心理とは

ではなぜ、一部の人々は訃報に死因の記載がないことに強い不満や疑問を抱くのでしょうか。そこにはいくつかの心理が働いていると考えられます。

まず「情報への渇望」があります。SNS時代において、私たちは常に詳細な情報を即座に得られることに慣れきってしまいました。知りたいという欲求がすぐに満たされない場合、不合理なほど強い不満を感じることがあります。

次に「納得したいという欲求」も影響しています。特に若い年齢での訃報の場合、人々はその理由を知ることで「自分や家族には起こりえないことだ」と納得し、不安を鎮めようとする心理が働きます。

また残念ながら、単なる好奇心的な興味から死因を求めている場合もあります。SNSの匿名性が、本来なら抑制されるべき無神経な質問を促してしまう面もあるでしょう。

遺族の立場から考える

一方、遺族の立場に立ってみると、死因の開示は単なる情報提供ではありません。特に突然の死や自死、事故死などの場合、死因を公表することは悲劇を再び言葉にして語ることを意味します。

遺族は深い悲しみの中にあり、SNSで訃報を発表すること自体、相当な勇気が必要な行為です。そのような時、死因を明かすことへのプレッシャーは、計り知れない苦痛をもたらします。

また、死因によっては偏見や誤解を生む可能性もあります。精神疾患による自死の場合、適切な理解が得られない恐れがあります。特定の病気による死亡の場合、その病気に対する誤ったイメージを助長する可能性もあります。

情報化社会におけるグリーフの在り方

SNSが私たちの生活に深く浸透した今、悲しみの表現方法や共有方法も変化しています。かつて訃報は新聞の死亡欄や葬儀の案内状で知らされるものだったのですが、今ではFacebookやX(旧Twitter)などのSNSで広く共有されます。

この変化は、迅速な情報伝達や遠方に住む友人・知人への連絡という点で有用である一方、従来は存在しなかった新たな課題も生み出しています。SNSの公開性や即時性が、遺族への無神経な反応を生み出す土壌となっている面もあります。

適切な対応とは

では、訃報に対して私たちはどのように反応すべきでしょうか。まず基本として、訃報は「情報提供」ではなく「悲しみの共有」の場であることを理解する必要があります。死因が開示されていない場合、それを問いただすのではなく、故人を偲び、遺族を思いやる言葉をかけることが大切です。

もしどうしても死因が気になる場合でも、公開の場で質問するのではなく、個人的なメッセージで控えめに尋ねるか、あるいは「お気遣いいただきありがとうございます。プライベートなことなので、ご理解いただけますと幸いです」という遺族の意思表示を尊重する姿勢が求められます。

メディア側も、公人物の訃報を報じる際には、死因が公表されていない場合、むやみに推測をしたり、ソース不明の情報を流したりしない責任があります。

多様性を認め合う社会へ

結局のところ、訃報に死因を書くか書かないかは、遺族の選択に委ねられるべき問題です。死因を開示することが故人の記憶を尊び、同じ病気で苦しむ人々への支援喚起につながる場合もあります。一方で、死因を開示しないことが遺族のグリーフプロセスを守ることにつながる場合もあります。

私たちに求められるのは、どちらの選択肢も尊重し、遺族の悲しみに寄り添う態度ではないでしょうか。SNS時代においても、人間の根源的な悲しみに対する感受性を失わないことが、より成熟した社会の証なのであると思います。

情報が溢れる現代だからこそ、時には「知らないままにしておく」こと、「聞かないでおく」ことの大切さを思い出したいものです。死因よりも重要なのは、亡くなられた方の生き様と、遺族の悲しみを思いやる心ではないでしょうか。

新版 インターネットの心理学 - パトリシア・ウォレス, 川浦 康至, 和田正人, 堀正
新版 インターネットの心理学 – パトリシア・ウォレス, 川浦 康至, 和田正人, 堀正

コメント

タイトルとURLをコピーしました