蒲田映画祭(シネパラ蒲田)は松竹キネマ蒲田撮影所ゆかりの監督や俳優の資料展示、映画上映、トークショーなどの催し

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蒲田映画祭(シネパラ蒲田)という催しが今年も行われています。松竹キネマ蒲田撮影所ゆかりの監督や俳優のパネル・資料展示、映画上映、トークショーなど、松竹蒲田大田観光協会主催、大田区共催、東京急行株式会社等が後援して町をあげての催しです。



松竹キネマ蒲田撮影所が開設されたのは1920年。

その後、蒲田は京浜工業地帯の中核として発展するために、のどかな映画撮影地としての期間は15年ほどで撮影所は大船に移転しています。

が、蒲田撮影所時代には日本初のトーキー映画や、カラー映画なども制作されました。

子役時代から松竹と契約していた高峰秀子さんは、今も呑川沿いにある蒲田小学校の出身です。

高峰秀子
『浮雲』より

松竹キネマ蒲田撮影所の跡地には、現在、大田区民ホール・アプリコが建っています。

そして、大田区民ホール・アプリコの前にある芝生の中に、昔流れていた逆川(さかさがわ)という河川にかけた松竹橋の親柱が保存されています。

松竹橋

現地設置標識板にはこう説明が刻まれています。

当地には、かつて、松竹キネマ蒲田撮影所があり、1920年(大正9年)から神奈川県大船に移る昭和十一年(1936)までの17年の間、ここから幾多の名作が世に送り出さ、我が国の映画文化の発展に大きく寄与し、蒲田は「キネマの都」として全国にその名を知られるようになりました。
 ここに置かれた橋は、当時、撮影所の正門前を流れていた逆川(さかさがわ) に架かっていた「松竹橋」を模したもので、撮影所が当地を去った50年後の1986年(昭和61年 公開された映画「キネマの天地」の撮影に使われました。
 よって、この地にこれを復元し、「松竹映画発祥の地」として末永く記念するものであります。

そのアプリコなどいくつかの会場で、2013年以来、蒲田映画祭(シネパラ蒲田)が行われてきました。

映画関連の展示物を公開したり、映画を上映したりする催しです。

2017年で、第5回となります。

たとえば、第1回はこんな展示がありました。

映画の街・蒲田の紹介。これは外せませんね

映画の街・蒲田の紹介

キネマ旬報の協力で、同誌のバックナンバーが飾られています。

キネマ旬報のバックナンバー

若尾文子の写真集や、大田区出身の片桐はいりのサインも。

若尾文子

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これは岸恵子ですね。

岸恵子

「家の履歴書」として、大田区出身の俳優・女優の住んでいた家の部屋まで公開。これは高峰秀子です。

家の履歴書

高峰秀子

第2回は、今の西蒲田(女塚)出身の俳優、小沢昭一さんの友人であった文学座代表の俳優・を行い、平和を求める小沢昭一を語りました。

加藤武がトークショー

そして、第5回蒲田映画祭は、2017年9月30日~11月3日まで開催。

蒲田映画祭は、過去の松竹映画の上映会も行われますが、今回は6作品です。

麦秋
晩春
砂の器
幸福の黄色いハンカチ
槍の権三
秋刀魚の味

クライマックスのトークショーは15日。

産業プラザPiO4階コンベンションホールで、岩下志麻を迎えて行われます。

確かに映画の街だった蒲田

蒲田というと、「工場の街」と思われがちですが、このブログで何度も書いているように、京浜工業地帯の中核は、羽田や森ヶ崎といった東京湾沿いの町で、蒲田や大森は、どちらかというと商業で発展した町です。

映画は、その大きな柱だったのでしょう。

蒲田は、松竹の撮影所があっただけでなく、映画館が多かったことでも知られています。

かつては映画雑誌で特集されていたほどで、その数19館。

数えられるのはミスタウン系の蒲田松竹、蒲田大映、蒲田日活、蒲田東宝、蒲田東映劇場、蒲田国際劇場、蒲田文化など封切り館。

それ以外に名画座、二等館の蒲田富士館、テアトルカマタ、蒲田宝塚、蒲田パレス座 帝都座、南星座、ヒカリ座など。

今はミスタウン系は全滅。

わずかに、蒲田西口駅前商店街(サンライズ通り)に、テアトルカマタ(東映系)、蒲田宝塚(松竹と東宝)が残るだけになりました。

現在の映画業界が、大都市集中型ロードショーの興行形態をとり、時間が経つとDVDやテレビ放送されるシステムであるとはいえ、19館が2館というのは寂しい限りです。

近隣の方、映画ファンは1度覗かれてはいかがでしょうか。蒲田映画祭。

蒲田行進曲 -
蒲田行進曲 –

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